インフルエンザにかかって

2週間前にA型インフルエンザにかかった。
39度まで熱が上がり、お医者さんに直行してタミフルをもらった。

なんだかそれ以来、仕事のテンションが下がりまくりで、早々に切り上げては、小説ばかり読んでいる。

梶山季之著 赤いダイヤ、黒の試走車、せどり男爵数奇譚、現代悪女伝。
服部真澄 最勝王。
東野圭吾 秘密、容疑者Xの献身。
そして頭山満 幕末三舟伝。
などなど。
病気から回復に向かう間、世の中のルールからズリ落ちたような気がしたけれど
これはいっそのこと仕事はやりすぎず、気ままな生活を送ってみよう、と決めたら
面白い日常が始まった。

料理が楽しい。
4.5キロの骨付きハムが送られてきて、あまりの大きさにびっくり。
妻に見せるために写真を撮っておいて、早速、スライスにかかった。
いつもステンレス包丁しか使っていないのだけれど、仕舞ってあった有次の包丁を使った。

大きくスライスして、残った骨にはまだハムがくっついている。
さて、どうしたものかと思案していると
そうだ、スープを作ろう、と思い立った。
次に人参を切り、キャベツを切り、たまねぎも。そして、ニンニクを4つばかり大鍋に入れ
クツクツと煮込むこと3時間。
途中で味見をしてみると、これが美味い。
こんなに美味しいスープを自分で作ったのは初めてだと感心する。

妻も絶賛。
うれしい!

大鍋なので、まだまだある。

壇一雄の小説で料理が出てくるシーンを思い出す。そういえば壇さんも大量に作っていた。

10月に中国で美味い上海蟹を食べてから、変なものを食べると一日調子が悪い。
自分の体に今日は何が食べたいかを素直に聞いてから外食をすることにしている。

次にアートに触れたくなる。
突然漫画を描きたくなりスケッチブックとB鉛筆を買う。そういえば小学生のとき、少年サンデーの4コマ漫画で入賞したことを思い出す。
突然、シンセサイザーが欲しくなる。デジタルビデオカメラを買い換えたくなる。

また熊野に行きたくなる。

日本って自由だなあ、と思う。小室直樹さんが橋爪大三郎さんとの対談で語られていたのだけれど
日本人は規律のある宗教は向かない、と。だからイスラム教は日本に定着しない、と。
ついでに書くと、欧米の神は働かないけど、日本の神さまはよく働く、と。

世の中のルールを外れて見てると、人々の生活は暖かく、泣いたり笑ったりしながらも、愛しい気持ちになってくる。

あ、これ、とっても大切だなあと実感。

デフレ宣言しても。。。

デフレ宣言しても。。。

政府がついにデフレ宣言してしまった。2008年9月から何とかインフレに持って行こうという政策が、功を奏さず、アメリカを始めとする国債ジャブジャブ発行で持たせているけれど、潜在的には、カンフル剤にしか過ぎないことを感知している。
しかし何もやらなければもっとひどいという現実もある。
1929年の大恐慌の際は、始めの1年でガクッと下げ、翌年そして翌々年、また永遠に景気の良さを謳歌できるかと思った矢先、さらなる下げに突入し、6-7年続いたという歴史がある。

資本主義は内部にバブルと恐慌を内蔵している。

資本主義の未来が、いくつかのパースペクティブで語られ、
中国、インド、ブラジルなどBIRICsの中産階級の内需拡大を資本主義の次の巨大マーケットとして見ている、とか
環境、安全、健康のテーマがより重要になる、などいろいろある訳だけれど、
その前に、今までの土台と例えば給与ベースが崩壊しつつあるので
多くの人たちが大変な事態に直面することも確かであり、今回、行くところまで行くことになる。

以前、ある相場師の方から聞いたこと、
相場の世界には、まるで神が宿っているかのようだと。

売った買ったのを繰り返していても、長い目で見れば
お釈迦様の手の内のようなもので
その中で遊んでいるだけなのかもしれないというような意味だ。

つまり、なるようにしかならない、ということでもあり、
究極はエリートと呼ばれる人たちが、政策で何とかしようともがいても
結果は何ともならず、世界は自然治癒力に任せるしかない、というものだ。

当たっていると思う。

元は、地球があり、自然があり、そして、人間が生きているという元を考えてみると
自然は必ずバランスを取ってくるので、
欲にかられた金融業界の人間たちが作り上げてきたシステムが崩壊するだけの話であって
何も私たちまで一緒になって壊れることは無い!と最近強く思う。

言い方を変えると、
地球は怒っているぞ、自然は、人間たちよ、いい加減にしろ、と叫んでいるように思う。

白人は、自然に対しての恐怖が根っこにあるので、自然に対して戦うのだが、
日本人のアニミズム感は、全く異なる。

料理、そして日本人

金曜はいつも母と定例の夕食会となっており、久しぶりに阿佐谷でお気に入りのレストラン・「グルトン」に出かけた。
10人ほどしか入れないので、こじんまりとした良い店だ。
オードブルのサーモン、メインディッシュの牛ホホシチューは、いつもながら美味しく、ボルシチスープが体にしみわたる。
コースで4000円だけど、阿佐谷の穴場だと思う。ランチは1300円ほど。

2回目も行きたいなあと思うレストランは、1~2割だろうか。阿佐谷ではグルトンとオザワが残った。

グルトンのシチューは、恵比寿のキッチンボンと良い勝負。

キッチンボンは、レンガづくりの時代から知っていて、あそこも美味い。20代の頃で先輩に連れていってもらい、なんて美味しいシチューなんだろうと感動した。

最近、これは美味い!の感動ものが、「焼きあごふりだし」。まるも(株)で販売されているこの商品をお客さんからいただいた。

出汁だけで飲めるほど美味い。

10代20代の人たちが、体の人間を訴えているのは、ファーストフードが中心の食生活に影響があるだろう。たぶん食生活がひどい。

私は、この夏から、朝はニンジン・りんごジュース、昼はそばくらい、そして夜はしっかり食べるという食生活をしている。
いろいろと調べてみるに、食べ過ぎほど健康に悪いものはなく、美味しいものは少し食べると満足する。ファーストフードやコンビニ弁当は、食育の元を外しているため、体の満足感がないだろう。

よく言われることだけれど、人間の遺伝子は、飢餓状態に強く、食べ過ぎには弱い。

体が求める美味しい料理を食べることほど大切なことは無いのだけれど、体と命の欲求を分からなくなってしまっている人たちも多い。
頭で考えると、○○を食べなくちゃ、となるけれど、体が要求しているものは違うことがある。

意識のレベルではわからないことを、体は正直に訴えており、その声は時に、SOSだったりする。
命は先に生きよう生きようとしているけれど、意識でおかしなことをやってしまうと、結果として病気になる。

5年ほど前に1週間の断食をやった。水はOK、塩分は×。8kg体重が減り、そして今も変わらない。一度、リセットしないと分からないことも多い。

そして、掃除。要らないものはさっさと捨てて空間をきれいにする。

日本人の文化的な真髄は、引き算にある。

全部無くして、そこから生まれてくるもの。茶道も然り。何も無いところから生まれてくる。
それは個人がどうのこうのではなく、自然と調和した命の美しい空間が拡がりだす。

分断された意識では捉えきれない生命の躍動。

日本人はまだ自分たちのことを知らないと思う。

中国について

以前、中国に行ったのは、1988年で天安門の前年だった。あまりにも長い間ご無沙汰してしまった国に、久しぶりに行ってみようとチケットを予約した。

国内旅行の金額と変わらないのに驚く。4つ星ホテルがこんな金額で泊まれるの?と、これまたびっくり。上海にした。

風邪を引かない限り、行く予定。

中国の将来について、悲観的な意見と楽観的な意見と入り混じってるのも気になっていた。
確かに30年から40年経ったとき、少子化問題で国力は衰亡することが目に見えているけれど、この二つの意見は、悲観的な意見は、例えば大竹慎一氏、松藤民輔氏などで読んでいた。大衆社会が成立していない、とか、中央集権では持たないという意見で、次の楽観的というか、中国の将来を明るくとらえる意見としては、これはかなりあり、アメリカの覇権交代説を唱える人たちも、アジアブロックの中枢として中国の将来を見ている。

中国との関係は、これからが蜜月になるだろう。胡錦濤・温家宝は、周恩来・トウ小平につながるラインであり、次の次の世代である李克強もその流れにある。周恩来&田中角栄を日中国交回復を始まりとして、田中角栄~小沢一郎へとつながる世代は、現中国政権との交流を促進するだろう。
中国からのオファーは、環境問題の協力や、新しい新幹線など、目白押しとなっている。

ただ、中国の失業率は一説には25%と言われ、都市部に来た労働者が農村に戻っているとも聞く。アメリカへの輸出が激減したのが主な原因だろう。
あと、3年半耐えたら、これは最近の合い言葉なのだけれど、日本とはさらに良い関係が生まれるだろう。

中国とアメリカは、実はテーブルの下でピストルをつきつけている関係。89年の天安門事件は、当時のゴルバチョフが来中している間に起こった事件で、世界中のメディアが集まっている中で起こっている。そして、アメリカの多国籍企業が中国へ入り込んでいく。

濃いも薄いも甘いも辛いも知っていたトウ小平が、胡錦濤・温家宝を育てながら、次の道をつくり、今がある。彼らは、全部知っている。

アメリカの外交政策は、日本と中国が仲良くすることを徹底的に排除してきた。そして、今年の夏から、大きな転換を迎えている。

アメリカは、2012年を底として、2013年から回復できるかどうかにかかるだろう。それまでに暴落する国債、株、暴騰するvs米ドルとしての金(ゴールド)、こういう事態にオバマであっても誰であったも為すすべがないのだが、世界全体としては、凋落する旧大国が危機に陥ったとき、金利を上げることによって(90年代後半、韓国がデフォルトしたときにIMFが高金利政策を取らせた同じ方法で)、世界から再度資金が流れ込むかどうか、そして息を吹き返すかどうかにかかるだろう。しかしながら、この方法は、韓国の場合がそうであったように、犠牲を伴う。借金を負った層、そして低所得層が犠牲になり、セーフティーネットが無い限り、大変なことになるだろう。

凄い時代に生きている。

一神教と多神教

このところ、一神教と多神教について考えることが多かった。

昨秋、C・G・ユングの「ヨブへの答え」を読んだ。林道義氏が10年かけて訳したこの著作は、ユングの著作の中でも最高傑作とも言われている。
昔、キリスト教に対して距離を置いていたのだが、整理する大きな転換点になった。
高校時代に遠藤周作氏の「沈黙」を読み、その後、アンドレ・ジッドの「狭き門」を読むという読書体験が、高校生の私には、それ以上探求をするには、ナビゲーターが必要だったが、自分の周りには居なかったのが理由だった。

ちなみに、遠藤周作氏がヨーロッパで著名な日本人作家としての地位を築いたのは、この「沈黙」が与えた影響からだろう。

旧約聖書に登場するヨブ記では、トリックスターであるサタンにそれほどまでに神への信仰が強いのならば、試してみればと神がそそのかされる。神であるヤーヴェに従順なヨブは、その結果、子供まで殺され、治らぬ病いを患い、それでも神への信仰を捨てないでいる。ヤーヴェは残酷にして慈悲深く、現象そのものであって、「人にあらず」である。この道徳すらないヤーヴェの二重性(神の無意識の矛盾)に対決するヨブが、その二重性を認識することによって変化が起こる。ヨブの認識、智恵(ソフィア)によって、ヤーヴェは変わらざるを得なくなる。それは神が人間になるということであった。これは相手が分かったと同時に、自分も分かるという同時変化が、天上界において起こる。

ユングの言葉を借りると、「ソフィアの接近は新しい創造行為を意味している。しかしこのたびは世界が変えられるのではなく、神が自らの本質を変えようとするのである。人類は前のように滅ぼされることになるのではなく、救われることになるのである。この決断には、人間を愛するソフィアの影響が認められる。つまりつくられるのは人間ではなく、人間を救うためのただ一人の神人である。この目的のためには創世記とは逆の手続きが使われる。男性である第二のアダム(キリスト)は最初の人間として直接創造主の手からもたらされたのではなく、人間の女性が(マリア)から生まれるのである。 
(中略) 
こうした見解はなるほどマリアの人格が男性的な意味で高められることを意味している、と言うのは彼女はキリストの完全性に近づけられているからである。しかしそれは同時にまた完全性ないし十全性という女性的な原理が病んでいることも意味している、と言うのはこの女性的な原理が完全主義化によって、マリアをかろうじてキリストから区別するぎりぎりのところにまで縮小されてしまうからである 太陽に近づくほど光が薄れる! こうして女性的理想が男性的にその方向へねじ曲げられていけばいくほど、女性は完全性を目指す男性的な努力を保証する可能性を失い、ついには後に見るようにエナンティオドロミー(訳注より、ユングはあまりのも一面的になりすぎると、無意識の中に逆の方向性が強まり、その作用によってやがて意識の在り方が逆転するという意味で使っている。)によって脅かされる男性的理想状態が生まれてしまう。完全性を通っていく道は未来に通じていない。たとえ通じても、逆転、すなわち理想の破綻になる。その破綻は十全性という女性的理想によれば避けることができるであろう。ヤーヴェ的な完全主義は旧約聖書から新約聖書と受け継がれ、たとえ女性的原理が大いに認められ高められたとはいえ、家父長的支配には勝てなかった。」

旧約聖書から新約聖書に至るヤーヴェからキリストの物語は、まだ続く。このように女性原理をしぶしぶながら完全性の中に取り入れて認めながらも、家父長的支配を続ける結果、無意識のうちに育まれている否定的感情の爆発、つまり抑制させられた裏側で生じる対立物として、ヨハネの黙示録が位置づけられる。
ヨハネの黙示録では、七つの封印が開かれることによって、「こうして、キリスト教の現存、忍耐、隣人愛や敵への愛、また天にまします愛の父とか人間を救う息子や救世主いった、あらゆるイメージの横つらを張りとばすような、おぞましい光景が生まれるのである。 中略 ついに7番目の天使がラッパを吹く鳴らすと、エルサレムが破壊された後に、天上に、足の下に月を踏み頭に十二の星の冠をかぶった太陽の女が現れる。彼女が産みの苦しみの中にあり、彼女の前には火のように赤い竜がいて、彼女が生む子供を食おうとしている。」
この封印が開かれるとは、「彼女とは、女性本来の十全性を奪い取られていない女性の原人であり、男性の原人としての対」である。

キリスト教がこのように十全性を持つ女性性を男性原理である完全性のもとに位置づけ片翼飛行をしている宗教だ考えると、世界の限界状況にもつながる理解ともなり、ユングの「ヨブへの答え」は、イリイチのジェンダー論とはまた違う、壮大なユダヤ・キリスト教とそのロゴスの歴史という観点からジェンダーを捉える画期的な試みだと言える。
このような試みが可能になったのは、エディプス還元主義のフロイトと決別したユングの、男性性と女性性の深淵を語ることができた天才性に拠るのは確かだ。もちろん引用は一部であり、エノクや各福音書も登場するので、読まれることをお勧めする。

さて、そんなふうにユダヤ・キリスト教を代表とする一神教への整理と理解をしたところ、多神教に想いを馳せていた頃、といっても数週間ほど前だが、町田宗鳳氏の「人類は宗教に勝てるか 一神教文明の終焉」を読んだ。

この「人類は宗教に勝てるか 一神教文明の終焉」は、多神教的コスモロジーの復活、無神教的コスモロジー(決してマルクスの言う無神論ではない)の時代へ、と展開され、現在の世界にとってとても重要なテーゼとなっている。長くなるので、一読をお勧めする。
いずれにしても一神教が限界にきているのはゆがめない。

町田氏は、法然を調べていて知った方だ。法然に関する重要な著作を出されている。

なぜ、町田氏が法然を取り上げたのか、分かるような気がする。法然には50年に一度、天皇が新しい諡号を与える。今は和順だ。鎌倉期の仏教膨張期の前に位置する法然は、親鸞、日蓮、道元など鎌倉期のスターが登場する以前の土台を作っている。それも、世の中が飢饉と不安で動乱する京都末期にあって。

日本に登場する天才たちは、薄氷の上を歩み続ける世界の危なさに対して、さまざまな警告とヒントを与えている。また古事記を読むと、国の成り立ちが、いかに平和であるかよく分かる。イサナミとイサナギが、二人で仲良く作り上げた国で、しかも悪い神が出てこないのだから。出ても八岐大蛇であるけれど、尻尾からは三種の神器のひとつである天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)が出てくる。

私たちは、世界の中でいかに重要な国に住んでいるか、その意味を分かっていないのは、当の日本人であるのかもしれない。

熊坂武術院

4年ほど前、左の手首から肘にかけて痛みが走るようになった。さすがに我慢できないレベルに達して病院に行った。
整形外科の先生は、ベンツでも長い間乗ると故障が出るように、あなたの手首も医学的には亜脱臼を起こしたのですよ、と診断された。しかし、その後の話が酷だった。サポーターを巻いたとしても限度があるでしょう、いずれ手術しかありません、金属を入れて固定する方法です、という内容だった。
焦った。
仕事柄キーボードを打つことが多い。スタッフに任せることは可能だが、やはり自分で打ちたい。
WEBで何か方法はないものかと探しまくった。

宇都宮に会津藩の関節治しの秘伝を受け継ぐ熊坂先生という方を発見し、電話をした。
あっさりと「元に戻らないと仕方がないでしょう」と言われ、新幹線で飛んでいった。
宇都宮からタクシーで1メーターほどの距離にある熊坂武術院は、畳12畳ほどの簡素な空間だった。薄い敷布団の上に寝かされて、痛んだ手首をゆっくりと回すようにして関節を治療する。先生は関節が元の場所に収まるように具合を感じながら回している。
3~4分経ったころ、「もう大丈夫でしょう」と言われた。
自分で手首を回してみると、今までの痛みが、まったく無い。

驚いた。感謝感激雨あられとはこのことだ。

もし、あのまま整形外科の先生で手術をしていたらと考えると、ゾッとする。

今まで西洋医学が対症療法であるということは知識として持っていたが、自分の体を持ってその違いを分かった。原因を突き止めるには、西洋医学のアプローチは欠かせないとしても、治療方法には選択肢があると痛感した。
(その後、痛風で苦しんでいた叔父を連れて行ったが、西洋医学で痛風だと判明しないでいったため、結果的にはダメだった。これは、事前に原因を突き止めていないことによる。亜脱臼の治療は素晴らしい技術をお持ちである。)

友人や仕事上のお客さんにも話したところ、10人ばかり行くことになり、少しは恩返しができたかもしれない。

少し変わった先生だ。治療中でも禅の話が始まると、止まらない。部屋の片隅には、道元の「正法眼蔵」が置いてある。

3ヶ月ほど前、ジムで無茶をやり、膝を痛めたようだったので、伺った。お弟子さんが2人居た。

心臓が弱っているとおっしゃている。長生きしてほしい。

2019年本を監修された。「奥伝の関節医学 継承者「熊坂護」の手技とその歩み」

最近の国内政治状況について

現在出ている話はどういう立場をとるかという観点の問題であり、違う観点からは全く逆のことを言う人もいる。情報化社会において、現象はすべて相対化されてくる。

だからこそ歴史に学ぶことの大切さが必要だろう。

それは、未来があるかどうか。未来を創れるかどうか。

小沢さんが自分でも言っていたと思うが、民主党が政権を取ってもうまくいかないこともあるだろう、と。しかしながら、3年政権が持ち、予算編成を何度かやれば、日本の官僚制による弊害が無くなるだろう、と。
自分たちが自分たちの足で立ちましょうと。

日本の政治家が、アメリカの議員にすらまともに会えないことはよく知られており、アメリカ以外の国においては政治的に対等であっても、アメリカに対してのみ隷属の関係になっている。

アメリカから見たら、日本は脅かせば言うことを聞く金の卵の存在となっている。
そして日本はアメリカの国債を600兆円買っている。現在、政治家はギリギリのところにきている。ただ、問題は官僚制度だ。政治家と官僚の関係が逆転している。

日本の権力の成り立ちと官僚制の元を考えるうえで、幕末から明治維新そして最後の西南戦争の流れを捉えたほうがいいだろう。
先日、松岡正剛氏が西郷隆盛について書かれた「西郷隆盛語録」を読み、西南戦争の後に完成する日本の権力と官僚制が理解できた。(長いけれど是非読まれることをお勧めしたい)

上野にある西郷隆盛像を想い出す。

どうして浴衣姿なのか。どうして犬を連れているのか。
製作は、高村光雲だ。岡倉天心につながる。

この銅像には、深い深い愛があり、共鳴してやまない日本国民がいる。

有史以来、始めて人類に訪れていることの一つとして、
すべての人が歴史に参加している、ということがある。その中でネットが果たしている役割は果てしなく大きい。

2月半年振りに円高から円安へ転換

2月中旬半年ぶりにドル円が転換した。
今まで、ドル円は逆相関の関係にあった相場が、相関の相場に転換した大きな分岐点だった。

エリオット波動は5波で相場を形成することが知られているが、この最終の5波の終わりが2月中旬であった可能性もある。最終であったかどうかは、後で分かることである。

日本のGDPに占める輸出の割合は約15%。円安が助けになればいいと思う。

最終でない場合は、ドル円が1995年につけた79.50銭を軽く割り込むだろう。まったく逆になっている可能性もあるが、2010年を過ぎないと答えは出ないだろう。

CDSそしてSIVの損失金額が計り知れず、いずれ表に現れる。すべてが明らかになったとき、見えない不安恐怖から次に向かうことができるというのは、今までの歴史通り。

エリオット波動もコンドラチチェフ理論も、上げ下げ(ブル=強気、ベア=弱気)と期間の話だ。どれだけの期間を経て上げているか、そして下げているか。

金融工学のおかしなところは、人間の存在を無視していることだ。これに強欲と自分だけ良ければいいというエゴが結びついたとき、人類全体は長い目で見たとき大きな危機に瀕する。

若い人に伝えたい。

決して楽して金儲けをしようとしないで欲しい。楽をしようとしてお金を儲けたとき、後で痛手を負うことを知るだろう。

仕事は社会全体に対しての貢献であり、辛いことも苦しいことも人間が持つ真への意志から越えることができ、愛はそのプロセスで働く人間の美しいエネルギーだ。

乗り越えたとき、それは大きな成長でなり、喜びとなる。

人間は本来、地球の裏側で起こっている事態も直観で把握している

先日から或る直観がある。
友人達に使っている最近の言葉で、トータルという言葉を多用しているのに気がついた。
あるテーマを話していても、その分野だけではとらえきれず、トータルな、というか全体的な捉え方をしないと外すことに気がついた。

人間は本来、地球の裏側で起こっている事態も直観で把握しているではないだろうかと思う。

専門分野は専門分野として大切なのだが、専門分野だけではどうも捉えきれない或る全体性が、ますます重要になってきている。

全体は部分の総和ではない。そして部分を足し合わせても全体にはならない。
全体は或る直観の元でしか捉えられない、日増しにそういう考えが強くなっている。

現在起こっている金融恐慌について、アナリストたちが語る分析の数々は、事象の分析としては当たってはいるものの、人間の未来を指し示す光明に欠けているという点で、無責任極まりないとも感じている。
恐慌が起こっても、人は生きているし、文化はなくならず、貨幣もなくならず、政治も存在するが、それらは内部から変容する決定的なターニングポイントにある。

今の金融システムの崩壊が、強欲が引き起こした結果だとすると、お金の本質も変わるだろう。

お金に関して言えば、産業革命以降の人類がたどってきた歴史が、変容するぐらいの大きなターニングポイントだ。
強欲と私有に対して、逆は、善そして全体の未来のためにとなる。まるでボールの内側と外側がひっくり返るくらいの変化が、起ころうとしている。
人間が外部のモノ的な価値から一転して、本当の内面的な美しさに目覚めるときが来ている、そう感じている。

ドイツの今はなき哲人、ハイデガーが言うように、人は、死を前にして、平等に存在に向き合う。平たく言うと、死ぬ前にどんな状態で、どんな方向性の中で死ぬかが、実は人生最大の要だ。

知り合いのお医者さんが、言っていた言葉を思い出す。
「三人に一人は、死んだときに、まるで周りに星が降るような感じなんです。私は死は荘厳なものだと思いました。」と。

星が降る、なんてきれいな言葉なんだろう。彼が語ってくれたときに、ふと自分の存在が大きなものに受け入れられていることを感じた。

「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」 を観て

NHK教育テレビで放映されたETV特集「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」を観た。

語り口は、彫像を彫るように、進む。

80年代にミシェル・フーコーが来日した時、まともに渡り合えたのは吉本さんくらいだったと記憶している。

「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」は、
今年の正月番組で楽しみにしていた特集だった。

今の時代にあって、吉本さんがこれは伝えておきたいという熱い思いがあった。

言語の根幹に沈黙を置き、自己表出が自然との関係において相互に影響しあうことを語っておられる。

自己表出の結果、自らも影響を受けるのである。
このことは語りつくせないほど大きい。
別の言い方でいうと、表現された自己表出は、共同体、社会にまで影響を与える。

現代のモノとお金が入り乱れて価値を作り出している世の中において、
吉本さんの芸術論はこの価値に対して、異議を申し立てる人間の精神活動の最後の砦ともいえる。
そして私たちはこのアンヴィヴァレンツを生きている。

日本語は美しい。

言葉はその人の性格まで決定づける。外国人の女性が日本語を話すと、日本人の女性よりも日本人らしく感じられることを考えても分かる。
私には、日本語のベースは母音で話しているのではないだろうかと思う時がある。欧米では子音がベースだ。分析をしたり対象化したりする場合にはアルファベット言語のほうが強い。

1980年代、角田忠信教授の右脳論がブームになった。欧米人は虫の鳴き声を環境音のひとつとして聞いているが、日本人は言葉として聞いている。
日本人と自然の関係は、根本で欧米と異なる。
(注:日本人の脳については、ポリネシアの人たちと類似構造が見られる分析がある。
三木成夫著 海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想 より)
吉本さんも自己表出の話を自然との関係で語られている。

自然に対しての恐怖か調和か、欧米と日本を分ける一番元の根っこはここにある。

最悪の事態を認識しない限り、希望は生まれない

朝倉慶氏の「大恐慌入門」、副島隆彦氏の「連鎖する大暴落」、佐藤優氏との対談「暴走する国家 恐慌化する世界」を読む。
「大恐慌入門」で、CDS、SIVの破綻が中央銀行でも処理できないくらいの金額に膨れ上がっている事実を知る。
アメリカのドル増刷~デノミの流れは、かなり高い確率であると見た。

私たちは、1929年の大恐慌を知らない。
しかしながら、当時の大恐慌よりも悪い事態に地滑りする可能性を覚悟しなければならないだろう。

金融システムの崩壊、ひいては近代資本主義の崩壊まで覚悟する必要があると考えている。
小泉・竹中改悪によってセーフティーネットは存在しない。そして社会のアノミー化(無秩序・無規範化)を避けなければならない。
*日本社会のアノミー化現象を分析する著作は、小室直樹氏の「日本国民に告ぐ」に詳しい。

その結果、国家による管理・統制が行われる可能性がある。国家は簡単に暴力をふるうことができる。

恐怖は人間をコントロールしうる最強の手段になりうる。危ない。

最悪の事態を認識しない限り、希望は生まれない、そう感じている。

新しいシステムの創出の必要。そのシステムの中核は、助け合いがキーワードであると感じている。

経団連の年初メッセージは「イノベーション」となっている。
しかし、一言足りないような気がする。
「破壊的イノベーション」が本当のところ。

破壊的イノベーションとは
IT分野で言うと
windowsに対してのLinux
エネルギー分野に対しての太陽光発電
同じイノベーションでもその分野を劇的に変える力を持ったイノベーションだ。

日本は戦後、技術で成長した。
なぜこれだけの技術力を日本が持てたのだろうか?
プロジェクトXを見ても普通のおじさんが一念発起して生み出したものが多い。
逆境にめげずひつこくひつこく考え抜いて生まれる技術。
あるときふっとひらめくアイデア。
日本には創造工学の系譜がある。アメリカのデボノ理論は及ばない。
亡き市川亀久弥教授が代表だ。湯川秀樹教授も市川先生の創造工学に協力している。
日本の創造工学を紐解くと、自然との関係から生まれていることが分かる。
デボノ理論と異なるのはそこだ。
販売、マーケティングなどの基本戦略と日本の技術が結びつく強みは世界に類に見ないものになるだろう。

新しい幕開けができる企業が、そのパラダイムシフトとネットワークを伴って社会と経済を作り直していくイメージを持っている。
状況に痛みと崩壊が伴っているが、新しく出ている芽が何よりも大切だ。

日本人はもっと誇りをもっていい。
昨年か一昨年だったか、ワールドワイドに行われたアンケートで、戦後、世界で一番貢献した国は?の答えに、ダントツ一位で日本が選ばれている。

イラクの人たちもズタズタになった国に、HONDAなど日本の精神ある企業が入ってくれることを、心から待っていたのだ。

予測と人間の生

金融不安を通り越し、金融危機そして金融恐慌の一歩手前で世界的な調整が行われている今、書いておきたいことがある。
状況の分析はシミュレーションであり、ある対象化された計算方法を元にしている。今回の金融恐慌は、早くは1995年あたりから指摘されていたことで、マクロレベルでのシミュレーションとして予測された。そこには因果関係があるため計算できる。この地滑り的な金融システムの崩壊にあたって、対局となるフェーズを提出したい。
人間が行う予測は、その多くが当たらない、というものだ。
予測された未来の通りには、決してそのままには進まない。予測を否定しているではない。なぜそうなるか?
今年の7月、原油価格は、1バレル200ドルに達するだろうというJPモルガンの予測を信じて、120ドルあたりで買いを入れた日本の商社は、大きな損失を出した。落ちても60から70ドルだろうという予測も外れた。現在は40ドル台である。この半年で3分の1に落ちたのである。
(ガソリンスタンドの値は、まだ下がらないが。。。)
この予測には欠けていたものがある。人間の適用しようとする行動に対してである。夏、車の交通量する減った。人間を無視した金融システムの一部に対して、一人一人の人間が反乱したともいえる。
予測が外れるのは、マクロに対してミクロが複雑系の中で新しい地平を作り上げるときに外れる。地平は、人々が織りなす網の目ともいえる。
人は生きている。予測は内部に時間の矢を持っている。それに対して人の生は、本来、きわめて空間的である。さらに言うと、人間の生命はきわめて空間的である。とても重要なことだ。
泣いたり笑ったり悲しんだり喜んだり人間の命は躍動している。そしてひとりでは躍動しない。

さて、ジュリアン・ジェインズというプリンストン大学の心理学教授が、唯一書き残した「神々の沈黙」という著書がある。
サブタイトルは、意識の誕生と文明の興亡となっている。
本の帯は、「右脳に囁きかける神々の声は、どこに消えたのか?」とある。発刊と同時に大反響を巻き起こした。帯には、さらに、3000年前まで人類は「意識」を持っていなかった。古代文明は、意識を持つ前の<二分心>の持ち主の創造物。豊富な文献と古代遺跡の分析から、意識の誕生をめぐる壮大な仮説を提唱、とある。

詳しくは読んでもらうしかないのだが、なぜこの本を紹介したかというと、先ほどの予測に関係している。
古代においても予測はあったが、金融システムのように、人間が作ったものを予測はしていない。
自分たちの存在を越える何か、それは自然でもあるし、民族によれば神の声でもある何かを聞いていた。
ちなみに神という言葉は、後で人間が作った言葉であり、古代において神という意識は無いと思う。
そして、現代の予測やシミュレーションという左脳的なものではない。

お告げがあったからどこどこに行くという行動に、何故?と聞いても答えはない。その人には聞こえており、行動しているのだ。

現代人が近い状態を体験できるのは、朝起きた直後だと思っている。このときに布団なりベッドの中で、課題をとらえ直すと非常に深い答えを得ることができる。体の状態が素直なため、意識で判断するより、先のある答えを得ることができる。
(ちなみにそのためには寝る前の状態が大切だ)

人間が意識で作り上げてきた文明に対して、全く次元が違うレベルで起こっていることがある。

今、そういう意味では、全部必要になっており、新しい適用が始まろうとしてる、そう感じている。

江戸時代までは絶滅した動物が・・・

江戸時代までは絶滅した生物があまりなく、明治に入ってから急速に増えたことに興味を持っていた。
江戸時代は循環型の社会で知られる。乱獲もなければ、自然の恵みを人間がいただくことに感謝の気持ちを持っていたように思う。

明治時代の近代化とともに、大きく変化していく。一人の人間が、象40頭分のエネルギーを消費しているらしいが、その端緒が明治にあった。

ピーター・ドラッカーは、明治維新が世界史の中での奇跡であるという。ドラッカーは、ある一時期むさぼるように読書をしたし、90代になっても現役で自分自身の手で電話を取るその姿勢に好感を持った。日本経済新聞に連載された「私の履歴書」に書かれた逸話の中で、奥さんとの出会いと仲の良さに、ドラッカーの洞察力と才能の秘密を見た。さて、ドラッカーがいう奇跡は、無血革命であり、山岡鉄舟を始めとする武士道があったからこその話。世界史は通常、政権交代が血にまみれる。

江戸時代は面白い。岡本綺堂の「半七捕物帳」は、私の愛読書の一つで、江戸時代の風物を楽しむには、もってこいの小説だ。数ページでどっぷりと江戸時代にタイムスリップできる。

江戸時代と明治の違いのひとつに、「時間」がある。分かりやすく言うと、「半七捕物帳」の登場人物にも社会にも、過去~現在~未来という時間の矢が流れていない。昔はああだったけれども、未来はこうなりたい、とか、ましてや、社会の中に、未来の時間が入っていない。極めて空間的とも言える。
明治時代は、近代化とともに、過去を置いて、未来はこうあるんだ、という社会全体のビジョンが時間の矢を内包してくる。

動物の絶滅は、このように人間が作り出した時間の矢、文明というものの方向性が、社会全体を巻き込んで動き出したときに生じた生命誌の裏側とも言える。

この時代を生きていて、時間的なものから空間的なものへと変容しているのを感じている。

人間一人一人の人生は尊く、命は豊かさを求める。喜びと幸せが命の栄養だとすると、いずれ社会もこの栄養を取り入れないとやっていけなくなる時代が来る、そんなふうに直観している。

現在の金融危機について榊原英資さんの話

以下は2008.11/8の投稿。
現在の金融危機について榊原英資さんの話をセミナーで聞く機会があり
非常に整理されているため、書くことにした。

現在の金融不安は100年に一度か二度のものであるということ。これは元FRB理事長のグリーンスパンが語った状況分析である。
まず、1カ月前非常にやばかった、と。
特に銀行間取引、これはインターバンクといわれる市場であるが、銀行間同士で疑心暗鬼に陥り動かなくなってしまった。

私見だが、2007年8月16日にも同じ状況があった。このときはFRBが金利を下げること、そして日銀が金利を上げないという声明を翌日に出したことで切り抜けた。

現在、世界各国の中央銀行はドルを大量提供し、日銀も無制限に提供している。しかしながらCDマーケット、コマーシャルペーパーが動いていないということだ。
社債市場も機能していない。社債から銀行へ戻ってきている。金融市場が大きく崩壊のプロセスにある。

1990年代の半ばから、金融取引が膨らんだ。イギリスのビッグバン、アメリカにおいては銀行は州を超えて業務ができるように規制を突破だった。そして金融工学で生まれた様々な商品が開発され膨らんでいった。
その一つに証券化がある。銀行のバランスシートにのっかっているものを売った。また住宅ローンも証券化されマーケットで売られ、規制がない限り資金調達ができる仕組みとして膨らんでいった。他の債権と組み合わせて証券化されその組み合わせは多岐にわたったようだ。

銀行はコマーシャルバンクとインベストメントバンクの2種類があり、コマーシャルバンクでは無限に資産はできず8%の自己資本比率を守ることで資本の12倍くらいまでの資産を保有することになる。
ところがインベストメントバンクについては資本の規制がなく90年代から株式に投資をし、自分たちでリスクをとる限り莫大な利益を上げるという繰り返し行ってきた。このインベストメントバンクから付き合うとした人たちがヘッジファンドを立ち上げた。
ヘッジファンドは今、全体で1兆7000億ドルの運用資金がある。この運用資金をドルで引き上げているのが今の為替にも影響している。以前書いたが、ドルフランが上がり、ユーロドルが下がるというこの現象は世界的なインベストメントバンクならびにヘッジファンドの資金引き揚げが理由である。
さて90年代から2006年まで世界的にイクイディティが潤沢になったためかなりリスクの高い人にお金を貸していった。
日本では、倒産したリーマンブラザーズがホリエモンに日本テレビの買収で700~800億を貸すといったことは有名だ。それだけ巨大なリスクで巨大な利益を上げていた。
アメリカのロバート・ルービンはゴールドマンサックスの元CEOであり、今のオールソンも然り。インベストメントバンクが政策まで反映している。

さてアメリカのサブプライムローンは、返せない人に貸したわけだが、あがっていたらOKだった。しかし2006年からアメリカの住宅価格は下がり出す。
今回は今までと違うのは、このバブルが異常に大きい。
アメリカのインベストバンクのうち、ベアスターンズ、リーマン、メリルリンチは倒産し、ゴールドマンサックスモルガンスタンレーはコマーシャルバンクに戻ろうとしている。つまりインベストメントバンクのモデルが崩壊している。インベストメントバンクは資本の20~30倍のレバレッジをきかせて利益を上げていたわけだ。
ヘッジファンドの全体の資産はこの数ヶ月で10兆円減ったといわれる。これは全体の5-7%。
ジョージソロスはヘッジファンドの資産はさらに25-50%減るだろうと予測しているらしい。多くのヘッジファンドがこれから解散するだろうし、大型のヘッジファンドも消えていくことになるだろう。
資金がどれだけマーケットから引き上げられていくか。
商業銀行は貸し出しが難しくなり、貸し渋りが出てくる。資金調達も難しくなる。オバマの選挙戦でアメリカのGM、フォードの救済も論点だった。
日本にいると世界の状況が分かりづらいが、アメリカの経済状況はかなり悪く、もちろん日本よりも、ヨーロッパはさらに悪い。EUは、4-6月マイナス成長で7-9月もマイナス成長のため、2四半期でマイナスが続くとリセッションであるという定義から、この数ヶ月で、落ちている。
世界同時不況はさらに続くだろうと予測。そして円高終わっていない。
ざっとこういう話だった。

金融の歴史と状況を整理し理解するうえで役に立った。

榊原さんは国連の国際金融システムの改革を検討する専門家委員会のメンバーに指名されている。アメリカからはスティグリッツがトップとして就任している。スティグリッツは英米主導の国際金融システムに対して、異議と改革を申し立てたことで知られている。ノーベル経済学賞を受賞したのは確か今年だったか。

榊原さんは、1990年代後半、アジアの通貨危機が全世界的に金融不安へと拡がったとき、アジアの通貨基金構想を立てようとした。結果的には、アメリカにつぶされたが、(キッシンジャーは異議をとなえたことなど、本で紹介されている。)、英米主導の金融システムに対して、アジアの金融システムを作ろうとして意義は高い。

少し話は昔に戻る。1990年代の後半に、韓国にIMFが入ったわけだが、このときのIMFの金利は、10%に近かったはず。高すぎる。当時韓国は造船など多額の投資をしており行き詰まった。香港では、事前に韓国の動きに対して警告をする意見もあったと聞く。本質的に、当時の韓国は日本への嫉妬で追い越せ追い抜けで失敗した。そしてIMFへの依存という流れ。

本来、アジアは、日本、中国、韓国がまとまれば素晴らしい地域になる。そしてインドも入ってくることができるだろうし、中東もアジアなのである。

今年の夏あたり、日経のWEBサイトで日本と中国のアンケートが掲載された。日本人で中国が好きという比率は16%、逆に中国人で日本が好きという比率は65%だった。この数字には驚いた。江沢民が国内の権力をまとめるために抗日を使ったことは有名だが、今は違う。清水美和さんの書籍に詳しく歴史と状況が書かれている。

中国は先週日本円にして45兆円の景気対策を発表した。しかしながらアメリカのクリスマス商戦が振るわないため輸出が落ちている。

すべては大きな過渡期を迎えている。

この過渡期の中でこそ、発見があり、未来への展望が生まれるはずだ。