MacbookAirを買ってしまった

ポストモダンの状況で、爆発的に増大する情報量を人はコントロールできない、だから近代に戻ってみる、そう言ったのは、P・ドラッカーだった。
最近、2012年12月にマヤ歴が終わるという関係で、文明の終焉を語った書籍が出てきている。
そんな中でもきちんとロジックを踏まえた著作もある。
本屋でふと手に取った「文明はなぜ崩壊するのか」レベッカ・コスタ著。
マヤでも複雑化する状況を人間がコントロールできなくなり
次の世代に持ち越されていった。
干ばつ、水不足(21世紀の大問題でもある)で生じた環境の激変に対して
マヤでは思い込みのスーパーミームが現れたという。
生け贄などがその例。
本の中では5つのスーパーミームを紹介している。
複雑になりすぎた結果、人間が対応できずに出現してくるスーパーミーム。
著者はこの解決として、ひらめきを語る。
それもチームとしてのひらめき。

複雑な案件に対しては、一人で取り組むより、チームで取り組んだほうが、その解決を見いだしやすい。
これは仕事でもそうだろう。

日本では、このひらめきを理論化した功績として、市川亀久彌、湯川秀樹の両人が拓いた創造工学がある訳だが、分かりやすく紹介すると、昔、プロジェクトXという番組で、JRの自動改札を開発した沖電気の技術者が、なかなかうまくいかず、迷惑をかけまくって落ち込んだところで、自然の中で川の浅瀬を見ていると、流れ去る葉が、石を回り込んで流れていく様を見て、はたとひらめき、切符を葉に見立てて自動改札機に流した発明で乗り切ったという話がある。
元が自然にある。
日本の物作りの強さも自然から学んでいる強さとしてあった。
ここが、他の先進諸国と徹底的に日本が異なるところになる。

複雑化が進むということは、エントロピーが増大するということでもあるので
このエントロピーを減じるもの、つまりネゲントロピーは
日本人の場合、自然とつながる命から発露されていると考えている。
ネゲントロピーは、物理学者のシュレディンガーが確か20世紀の初めに唱えた概念で
日本では岩波からページは少ないけれど中身がぎっしり詰まった文庫本として語られ、まだ発売されている。

少し話しは飛ぶが、しかめっ面ばかりしているより、はたと膝を打つような快感が大切になるので
その環境づくりとして、久しぶりにmacを買った。

macは確か鈴木メソッドという日本の児童教育をベースにした開発の歴史があるはず。
漢字トークの時代からpantherまで使っていたが、pantherの後、intelに変わってしまったので、
その後止まり、Airの薄さとパワーに、これだったらいけそうというところで購入した。

別に道具だから何を使おうがいいと言えばいいのだけれど、
目から脳につながる道具は、よ〜く考えないと、
その道具の傾向をモロに受けている。

この文章もmac ATOKで書いている。

音声認識ソフトを多用していのだけれど、amivoiceは、parallels for macで動かすには、厳しかった。Airがi7 memory4Gにparallels搭載。
(何で日本人は、1.7倍もキーを打たなあかんねん、という理由で、親指シフトで打っていたときもあるが、F10キーの変換ができないことであきらめた)
話の脱線ついでに書くと、音声認識ソフトはwindowsで行い、DROPBOXでmacとつなげることで
テキストを持ってくることにした。

スマートフォンは、第一世代のREGZAフォン(このスマホは厳しい)からiPhoneに変えようとしているけれど
デザリングができないので、香港製のiPhoneをdocomoのXiで使うかどうか検討しているところ。
docomoはSIMフリーだから可能なんだけれど、西新宿に見に行ったdocomoショップの社員が
偉そうに派遣のスタッフの人たちを使っているのを見て、やっぱりdocomoは嫌だなあ、auにしたいと思ってしまった(笑)
どうしてあんなに偉そうにしているだろう。まるで勘違いしたプライドに乗っかる官僚のようだった。
私の一番嫌いなタイプ。違う人もいるとは思うが。。。。

MACはショートカットキーが優れているので、使っているとドライブというかスピード感が出る。
ターミナルを開くと、ベースがUNIXだと分かる。
コマンドを打ってみる。おお、pwdで現在のディレクトリ、lsでファイル表示、これでsshきくのか。
なるほど。
丈夫な訳だ。windowsのようなブラックボックスじゃないもんなあ。

私はジョブズの信奉者ではないけれど、この薄さは気に入った。

映画ライラの冒険に出てくる相棒のような動物になってくれたら嬉しい。

EUと中国 そして世界の多様化

ウォールストリート・ジャーナルによると、ユーロが落ちそうで落ちないのは
ユーロが中国の外貨準備高とリンケージされているからだ、ということらしい。
これは分かる。今までだったら、1.2あたりをめざしても不思議はなかったはず。

ギリシャ、スペインと続き、普通だったら急落するはずだが落ちない。

これは、世界は多極化していることの証になっており、ニュース情報が現実と異なっているのも、この多極化を捉え切れていないからだろう。

逆に言うと、年初だったか、中国の成長率が落ちたとき、オーストラリアも影響を受けた。

米vs中国の国際政治が、こういうところでもつながっている。

ドル円は季節柄、5月にガッツリ落ち、その後、上げに転じるだろう。まずは95円くらいをめざすことになるだろう。少し遠い先、110円まで戻れば、海外での生産から日本国内に戻すことができ、地方のシャッター通りが消えていくことになる。しかしこれには、日銀の金融緩和政策、riskのonかoffか、日米の金利差など条件がある。やはり、リーマンショックが歴史のターニングポイントになっており、つぶしてみたらあれだけの激震が走り、世界全体をインフレにもっていかなければ、奈落の底に落ちたあの事件は、今後の通貨供給のあり方を決定づけている。しかし、これまたインフレで原油が上がれば、原油高とリセッションは非常に関係が深いため、調整につぐ調整となり、ドル高のトークアップがなされているのが現状。
2007年の7月にガソリン価格は180円をつけ、その1年後、2008年9月にリーマンショックが起こったことは、この裏付けとなるだろう。元々は、アメリカのヘッジファンドが、利潤を上げにくくなった状況から、数学的に非常に複雑なデリバティブを開発し、全体のパイが大きくなって投資収益を得られると錯覚させところに原因がある。
M・フリードマンの学説は、恐慌を前提とするため、シカゴ学派が彼の記念館を作るというプロジェクトに、一部強力に反対した学者たちもおり、その良心をまだ持っている人たちがいることに、アメリカの希望を見たい。
ドルはまだ世界の基軸通貨ではあるけれど、4月のBRICS共同宣言では、ドルに依存しないことを初めて発表し、彼らは、ポストアメリカの時代に向けて、着々と準備している。
何十年か経てば、通貨バスケットの時代に突入するかもしれない。