日本の神様はよく働く

日本の神様はよく働く。
それぞれの国にある神話は、お国柄をよく表す。
日本は、イザナギ、イザナミの両神が、二人で国を創るところから始まる夫婦和合の国。
ヨーロッパに目を向けると、ちなみにゼウスは働かない。
このことは、楽して金儲けであったり、若いときにお金を稼いで、後は悠々自適という生活観にもつながるだろう。

日本は根っこが違うぞ、という気持ちだ。

ちなみにピーター・ドラッカーは、90歳になっても自分で電話に出ていた、そんな例もあるが、ドラッカーは夫婦仲がとても良かった。この人には楽して金儲けという発想がどこにも無い。

ヨー ロッパから始まる文明は、男尊女卑を形式としてフォローするレディファーストを前提にしているが、これは、一神教のもつ父権制からきている。

小室直樹氏のビデオ対談「日本教講義」が面白い。日本の神さまが働くという話は、このビデオを観ての話。
ちょっとお年をめされた感じはあるが、故山本七平氏とともに探求された日本教・空気の研究は今でも日本を捉える理論として機能しつづけている。

NYダウ998ドル下げについて思うこと

NYダウ急落は、昨夜、瞬間風速998ドルの下げを見た。

100万を100億と間違って誤発注したことに端を発するらしい。
ギリシャ問題に終結の姿勢を見せなかった欧州中央銀行の総裁コメントが、ユーロ売りを加速した。NYダウはユーロ売りドル買いにリンクしている。
逃避通貨としての円(円高に)、そして金(ゴールド)に余剰資金がなだれ込み、ドル円は急落して88円、金は1オンス1200ドルを抜いて上がった。(金はvsドル、リスクヘッジの両面を持つ)

世界的な余剰資金が、相互にリンクしたマーケットの中で、お金の欲望と恐怖を作り出している。
従って、全世界的な雪がなだれ現象が起こる。
恐怖によって今まで持っていた株を売ってしまい、売りが売りを呼ぶというのが行きなだれ現象。

バブル期のように、買いは買いを呼ぶという場合もあるが、損切りが損切りを呼んで、急落する落ち方は、買いによって上げてきた期間の何十分の一くらいの短期間で達成してしまう。

1929年の大恐慌においても、あるノーベル経済学の受賞学者が、恐慌の直前に、この繁栄は永遠に続く、とコメントしていた。永遠に続くと思われた経済的繁栄の直後、大恐慌を始まった。

考えるべくは、このリンケージ。
90年代だったか、台湾で地震が起こったときに、全世界のパソコン・パーツの殆どを製造していたため、世界的に大問題が思った。先日、新宿の竹下通りで、10代の若者が、芸能人がやってくる、という噂で大混雑の中、押し合いへし合いで怪我人まで出たことがあったが、これも同じこと。

この複雑で緻密にリンクした高度資本主義のネットワーク社会は、様々なリスクを抱えている。

一人一人が、まずはこのリスクを認識すること。

そして欲望にも恐怖にも左右されないこと、操作されている意識から脱却して、自分の頭で考えることが何よりも必要になっている。

お金を持っていても、食料が買えないと生きていけないし資源も必要で、一国は一国だけで生きていけない。また、一流企業でも代表が判断を間違うと倒産してしまう。世のお母さんお父さんたちが、今までの価値観が崩壊しているにも関わらず、そして今までの価値観では生きていけないにも関わらず、子供たちに本当に大切なことを伝えていないのが残念。

地球的に問題噴出の状況を、それでも後々の子孫は生きていかなければならない。本当に大切なこと。

でも、こういうことって今の学校では教えてくれないのは確か、そして学校の代わりに会社が人を育てていた余裕が今は無くなってしまっているのも確か。。。

後記)
ダウの暴落には、誤操作説が出ている。100万単位を間違えて100億でオーダーしたという説。
事実を曲げて、操作して言いつくろった説に聞こえるのは私だけだろうか。
シカゴ取引所が売ったという説があり、そちらの方が信憑性がある。
では、何故売ったのか。売り時であると判断したから。何故売り時だと判断したのか。暴落を読んでいたから、となる。つまりは前哨戦である。
誰かの発言がきっかけとなって相場が暴落するのは、後付けの理由である。それが理由だとすると、いくつでも理由があるのだ。
では、ドルが安泰なのか?と言われれば、全然そんなことはない。ユーロはドルのカウンター通貨。世界の余剰資金がNYダウを押し上げていたがアメリカの実態経済は良くない。水面下でシーソーゲームの駆け引きになっているだけだと推測している。
昨年の12月につけたドル安は、危機的になった通貨=ドルに、逆に資金流入するという結果を招いたはず。リーマンのときもそうだったのだが、新興国・資源国からの資金引き上げ=ドルの還流がすさまじかったはず。同じ現象が起こっただけ。
だから弱くなった機軸通貨は逆に強くなるという逆説を示している。
では、円はどうなるのか?今年の夏くらいまでは円安で上がるだろうが、来年の秋に向けて、74円を付けに来る可能性がある。この74円は、人為的なかたちでしか円安にならない。日銀の政策次第。HONDAあたりは85円にまで対応できる戦略をすでに組んでいるが、多くの企業にとって、この数字は酷でありすぎる。
ここで日本は非常に厳しい局面を迎える。
いずれにしても秋以降、覚悟しなければならず、リスクヘッジの嵐=逃避通貨の円へなだれ込む円高に陥るとき(まるでシルクロードの終着地点である日本になだれこむような)日本が負のキャスティングボードから、もう一度世界を新たに再生させる地球再生のエンジンを駆動する正のキャスティングボードへ転換するために、本当は何をしなければならないか、本質はそこにあると思う。

個性っていったい何なんだろう?

個性っていったい何なんだろう?
あの人ってこういう人だね、とかお酒がはいった席で相手のペルソナ(仮面)をイメージで勝手に作り上げているようなものなのだろう。もし10代や20代の人で、そんなことやってたら即刻やめた方がいい。ゆとり教育で個性の尊重と言われても、そんなの嘘で、20歳前後の人と話して分かるのだが、驚くほどその弊害が出ている。
本来、人の命はそんな枠を持っていない。

私とはどんな人なんだろう?という答えのない問いに、親や周りが勝手に作り上げたイメージ像を自分に当てはめているだけで、なんと命を粗末にしていることか。そんなふうに人から枠をはめられて、元気が出るはずがない。教育で言えば、文系と理系の区別すら本来は無いと思う。

個性を得意という意味で使ったとしても、面白さが分かって時間をかければ何でも得意になる。誰が先生であったかだけ。
人間が効率の中で粗末に粗末に扱われている社会だから、よく意味を考えてみることが必要だと思う。

私自身、自分の個性って言われても、人見知りをすることもあれば、社交的になることもあるし、ニートばりに本ばかり読んでるときもある。自分でもさっぱり分からない。

日本電産の社長が良いことを言っていた。
例えば新入社員が入社してくるときに、いわゆる一流といわれる大学を卒業して、本当はソニーに行きたかったのだけれども落ちてしまったので仕方がないから日本電産に行く、そういう人と、いわゆる三流といわれる大学を卒業しても、行きたい会社に行けて本当によかった、うれしい!そして家族も喜んで赤飯まで炊いてくれる人とでは、入社後、雲泥の開きが生まれる。

人間の能力は、その差が最大でも5倍なのだが、やる気の違いで能力は何10倍にも及ぶ。会社に行くのが楽しいと、そりゃあ結果も出る。そして若い人たちは本能的に育ててくれる人を求めている。

日本の国力の衰退が著しい。国の借金は危険水域だ。
日出るところの国が、日沈むところの国になってしまっている。
ボタンの掛け違いは、掛け直すしかなく、対症療法では治らない。

私の宝物

昔の田舎には、濃い自然の空気があった。
川の水はきれいで、とんぼが飛んでいた。

川にもぐったら
浅瀬を泳ぐ魚が
きらきら差し込む光の中で
ビュッと横切った。

隣の友達がくれたトマトは太陽をいっぱい浴びて甘かった。
牛の目はでっかくて優しかった。

井戸は夏でも冷たくて、別世界。
スイカを冷やしていた。

そして夜になると蚊帳(かや)の中で、
田舎の空気に溶け込んで
ぐっすり眠った。

私の宝物。母の実家。

晴天の日、徒然に

雨ばかり続いた天気が終わり、気持ちのいい晴天だった。
近所の善福寺川公園で寝そべり日向ぼっこ。

帰ってから「古事記」を読み直す。
なんて豊かなんだろう。

黄泉の国に行ってしまったお母さんに会いたさがつのって、泣いてばかりいるスサノオが、ヤマタノオロチを退治して英雄となる話や、天と地の両方に光を照らしていたサルタヒコがアメノウズメと夫婦になる話には男性性と女性性のカップリングを見るし、釣り針をめぐって意地悪兄からあいじめられていた弟が、助けを得て、その逆を行うことで、豊かになる話をはじめ、尽きない面白さが詰まっている。

タブーが無いと思う。うんこやおしっこも出てくるし、そこから神も生まれる。無いのは原初のタブーである近親相姦くらいじゃないだろうか。近いのは確か下巻に夫婦を取るか兄妹の関係を取るかで迫られる姫の話が出てくるくらいだろうか。あらゆる出来事が生じては顛末を得て、物語が進んでいく。

夜は、本を整理して、昔購入した星野道夫さんの写真集VOL.4に見入っていた。
海面に、遊泳するザトウクジラの尾っぽが現れ、夕焼けの光が玉となって空間に拡がっている。
雄大なアラスカの自然を感じながら、今、地球にとって人間は自分勝手で邪魔な存在になっているんじゃないだろうか、と感じ出した。

右翼と左翼

佐藤優さんの「日本国家の真髄」より。

「人間の理性に基づいて、理想的な社会国家を構築できるという発想自体が、1789年のフランス革命のときに、議長席から見た左側に座っていた人々、すなわち左翼の思想なのである。左翼は、人間は誰も等しく理性を持っていると考える。したがって、完全情報が与えられているならば、人間は理性に基づいて、共通の結論に至ると考える。
~中略~
これに対して議長席から見て右側に座っていた人々、すなわち右翼は、人間の理性には限界があると考える。ここで重要なのは、理性を否定しているのではないことだ。理性の限界を強調しているのである。
ただし武力は、理性の限界の外においてこそ、人間の真価が現れると考える。」

この本は、戦前の「国体」について書かれた本である。

近代合理主義が、この左翼の理性万能主義に基づいており、ポストモダンの時代にあっても、この理性でもってとらえきろうとするが、これを許さないくらいの爆発的な情報の増大があり、結果、トータリティを失い、存在が矮小化しているのが現代とも言える。

そこを小泉純一郎の新自由主義路線が後押し、お金、能力を、切り離された個人の存在に価値として、連結させた。

これに反して右翼は、古(いにしえ)に戻り、家族、地域、国、高天原と直結する天皇、そして宇宙を一つの家と見ている。従って、自分たちと異なる多次元も容認できる。

第二世界大戦への参戦を時期ではないとして、必死になって止めようとした右翼の人たちがおり、「国体の本義」は、その暴走を止めようとした人たちの中心メンバーによって書かれた。

そしてこの「国体の本義」は、戦後、GHQによって焚書された。

日本に個人の個という考え方はあったのだろうかと思う。個から理性をもって始まり、存在を問い、個を超越して世界を捉えようとする流れに対して、日本は180度違うベクトルを持っていたような気がする、というか、自分の周りや世界と同時にひとつとして感じている。日本の会社もそこが最大の強みだったはず。だから個の存在を問うことに本来は意味を持っていないような気がする。虫の鳴き声も欧米人は右脳で聴き、日本人は左脳で聴いている(角田忠信博士の証明)。昔、サルトルの「嘔吐」を読んで、どうしてマロニエの根っこで嘔吐するのかが分からなかったし、説明はできても、根っこでは分からない。デカルトを読んでも、言っていることは分かるが、根っこでは分からない。当時、周りに哲学書を読む知り合いが多かったのだけれど、すでにある歴史的知識を使っているか、トートロジーに陥っているように思えた。

今考えてみると、アルファベットを使ったディスクールは、何かを説明しきろうとする傾向を本質的に持っているような気がする。対象化して説明するツールとして言葉ができているから。

しかしながら日本語は非常に多義性を持っているし、どうみても対象化しきろうという言語ではないように思う。

昔、アメリカの女性と付き合っていたときに、彼女が英語でしゃべるときと、日本語でしゃべるときで、性格というか状態が変わるということに気が付いた。彼女の論文エッセーを読むと、なんて英語は分析に向いた言語なんだろうと思った。そして、彼女が日本語を話すとき、日本の女性よりも日本人らしくなるということに気が付いた。これは使っている言葉からきている。

万葉集で有名な山上憶良が日本は、「言霊の幸はふ国」と詠み、豊かな自然の中に自分たちの情緒を住まわせている。

桜を見てふっと体が開くときや、海の波間に洗われる心、人間の営みや感情に、自然の一つ一つが表情を持って呼応してくる文化の中に私たちは育まれている。
情緒の機微が自然と合って呼吸している。

今は、漢字と平仮名、カタカナを使って書いてはいるけれど、こんな珍しい国は無い。

元はどうなっているのだろう?

表彰文字としての漢字が、日本に入ってくるや当時の知識人が飛びつき、日本の古(いにしえ)が否定されようとした背景に、源氏物語などの平安文学が防戦し、流れをつなげている。小林秀雄さんの「本居宣長」の上巻に、このあたりの事情が詳しい。

さて、小泉政権時代の郵政民営化を、古事記に照らし合わせてみると、(「大和ごころ入門」で村上正邦さんと佐藤さんの対談集から)、イザナミがイザナキに先に声をかけてしまったので、(つまり女から男に声をかけてしまったので)、水蛭子というフニャフニャの実体がよく分からない生き物が生まれ、淡島といういつ沈んでもおかしくない陸地ができてしまった。後と先が逆になってしまった事例の顛末を古事記から預言している。

今の状況は、理性で捉えきろうするところでは解決できないところに来ているとしか思えない。

地震について

モダンからポストモダンへと移行した結果、情報と知識が相対化されて、その検証に時間がかかり、組み合わせも増大し、世の中がこれだけ複雑化してくると、処理できる情報の量にも限界が出てくる。
かといって自分の専門領域については適応することが必要になるわけだが、あらゆる分野がリンケージしているこの状況で、さて、何が大切かというと、良質なネットワークが何物にも代え難い。
あの人に聞けば分かるという、人のネットワークである。このネットワークを生かすには、今自分が持っている課題や問題をオープンにしておく必要がある。
専門は専門として重要なのだが、専門だけでは解決できない分野やフェーズが必要となる。
最近、こういう人と友達になりたいなあ、というところで地球の天変地異に詳しい人が欲しい。
今年に入っての地震は、ハイチ、チリ、中国と四半期で三連発である。アイスランドで噴火も起こってヨーロッパの空港は3分の2が閉鎖された。
昨年よりも頻度が高く、年を経るに従って、これは急カーブで増えていってるではないだろうか?
チリの地震では、地軸が8センチズレた。ほとんど影響はないとしても、100万分の1.26秒の時間が短くなったらしい。
しかしこのうなぎ登りの頻度で起こる地震が、年に50回に及んだとすると。。。。

今まで築いてきた文明がバベルの塔になってしまう。

地球の地殻変動期は阪神大震災のあたりを境に始まったという説がある。地球の内部を循環するマントル対流が、硬い表面の亀裂に作用して地震が発生するわけだが、日本もマリアナ海溝の延長線上に東海地域があるため、正式な発表として30年以内に関東大震災並みの地震が来る確率は80%とされている。(中央防災会議の研究結果)

足元で大変なことが起こっているにもかかわらず、戦争やテロやアホなことをやっていたのが今の人間だという歴史観を、行く末の人間が持っても不思議はない。

この星の上で、人間は生きていけるのだろうか?そして存続できるならば、どんなことが本当に必要なのだろうか?
きれいごとではなく、まともに直面する事態がやってくるように思えて仕方がない。
地球規模でライフラインのネットワークが必要になるだろう。

ゴールドマンサックスの訴追から徒然に

4/16アメリカSECが、ゴールドマンサックスのCDO(債務担保証券)取り扱いについて、証券詐欺罪で訴追を発表した。
その結果、NYダウは150ドルの下げ、石油、金など先物も急落した。
訴追内容は、ポールナンアンドカンパニーという大手ヘッジファンドが、1500万ドルの手数料を支払って、このCDOを作ってもらう一方で、その価格下落を見込んだCDS契約を結んでいた、という内容だ。
2008年9月に始まった本格的なデリバティブの崩壊は、その膿出しは全く終わってはおらず、国際ジャブジャブ発行によるにインフレ誘導が世界的になされており、いたるところで組み込まれたCDS、CDOが存在している。
考えてもみよう。リーマンの時、CDSが対象だったが、売り買いの両サイドが調整をして8%の損失で済んでいて、あれだけの激震だった。しかし、CDOを中心として、どこにどう入り込んでいるのか、把握することが不可能であること、その膿出しの第一弾が行われたと見るべきだろう。

今後、このデリバティブの中核商品であったCDS、CDOに関連した事件が多発するだろう。CDSについて、ウォーレン・バフェットが金融界で時限核爆弾が発明されてしまった、とコメントした。CDOについても同じである。
世界はこのデリバティブバブルの清算をつけなければならない。
猶予は3年。2012年末までだろう。
一気に問題が出れば大恐慌。輸出依存比率が47%の中国経済も一時的に墜落する。(日本は17%)
徐々に膿出しが可能ならばいいのだが。
いずれにしても通貨の信用度合いが低下し、実物経済とその派生商品に移行する流れは止められないだろう。

石油や金は、アンチドル(vsドル)の動きを取るため、この通貨そのものに対する信用不安が高まれば高まるほど上がる。
金が良い例で、昨年12月初旬に$1200ドル当たりを付けたままは下がらない。危機に伴って金は5000年の歴史を背景にあがってくる。

本来、アメリカの立場でいくと、ドル安の方が、アメリカの輸出産業に対して都合が良い、そして何よりも石油をドルで取引するという世界の前提からすると(2007年春イランは日本に石油の円決済を求めたが)、ドル安の方が都合がよかった。
2010年4月現在その反対にドルはあがっており、ドルインデックスで80当たりにあると思う。これは、ユーロのギリシャ問題が起因している。

円は安い。1ドル63円から73円の円高説があるが、こんなレートでは日本経済が崩壊する。1995年の79円の際はストックがまだあったが今は無い。今年春の円安誘導は、日銀の為替オペレーションが成功している。84円を付けた急激な円高の後、88円の分岐点で、見事円安誘導に成功した。

いずれにしても、この3年が勝負なのである。

一定平和に見える世の中の深いレイヤーで起こっている事態。
日本人は本質的に明るいので、どうしてもこのような事情に疎くなる。(欧米は基本が陰気=だから明るいものを好むという岡潔説)

日本が世界の中で持っている使命のようなものがあると思う。
それは資金援助だけではないだろう。

日本は本当凄いんだ、という思い込みは、1980年代の幻想であり、1990年以降資本主義のシステムを取り込んだロシア、中国、インドが出現することで、資本主義人口は10億人から40億人まで膨らんだ。この40億人のグローバルマーケットの中で付加価値の高い日本製品は、アジアマーケットの価格水準の中では、高すぎるのが現状である。欧米が購買力のあるうちは良かったが、世界全体の中でポジションニングが見えないのが本当のところだ。

しかしながら、それでも日本は、ここは凄いと言いたい訳である。
先日書いたように、岡潔さんの言葉で、政治、経済よりも前に文化がある。言い換えれば、企業にも文化がある。

面白い話を紹介しよう。
駐日アメリカ大使は、ライシャワーから始まり、マンスフィールド、モンデール、ベイカーなどアメリカの大御所が大使として赴任してきた。
本来アメリカの意見を代行するのが大使の役割なのだが、赴任期間が長期に渡るにつれ、次第次第に日本のファンとなり、発言に日本よりのバイアスがかかってくる。
モンデールは、東京の根津にある「たい焼き」のファンになりお忍びで買いに行っていたが、アメリカ本国に戻った途端、選挙でも落ち、アメリカの基準に合わなくなってしまう(ちょっと残念)。そんな理由で、先代のシーファーから現在のルース大使は、大統領選での資金貢献で選ばれている。

日本の持つ文化力。

私たちは、もっともっと、この力に自信を持ったほうがいい。

場について

小林秀雄全集の中に、小林さんたお付き合いした人たちが短いエッセーを寄せた巻がある。
これがとても面白い。
今日出海さんによれば、小林さんは集中力がたくましく、その結果、物を失くしたりすることが頻繁だったらしい。ヨーロッパへ今さんが一緒に旅行にいったとき、カメラを失くしてしまい、後で写っている写真を見て、自分の脇にカメラが置いてあり、そこで忘れたことが判明した、とか、逸話が楽しませてくれる。
周りには、青山二郎、河上徹太郎、中原中也、などなど、深い付き合いをしながら議論を重ねお互いに磨きをかけていった、そんな集まりと場があった。

人間、一人では成長できないのである。

国が変わって、1920年代のハンガリー、ブタペストから。ユダヤ人のノーベル賞受賞者が数多く出てくる。どんな謎があるのだろうと調べた。マイケル・ポランニーのお母さんがサロンを主催しており、そこにいろんな人たちが集っていた。ポランニー兄弟は、ともにノーベル賞の受賞者。また当時のブタペストには、カフェ・ニューヨークという場があり、そこに集っていたユダヤ人の学者からノーベル賞の受賞者が数多く出てくる。

そしてまた国が変わって、パリ。ダダイズムが生まれてくる場も凝縮された場だった。後のシュールレアリズムへと発展していく。

どんな時代に生まれ、どんな人と会い、どんな影響を受けたか。

付き合いが深くなると、話を聞くことで、自分との違いも分かる。いわば、かけがいのない付き合いは、合わせ鏡のようなものでもあり、自分の認識と他者の認識の理解を深める。

先日、近所に住むシェフのところで働く21歳の男の子と話す機会があり、友達どうしでゲームの話が多かったという。う~ん、残念、と思ってしまうのは、私がオジサンだからという訳でもないと思うのだが。。。
その店で働いて経験したこと、分かったことは、友達にも伝えるんだよ、と話した。

自分を成長させてくれる場が少なくなっていると思う。残念だ。

岡潔さんが言うように、世界的に人間の知力が低下している、かもしれない。

知識を吸収するより、話す、経験する、発見する、そんな元になっている人間の創造性を培う場が少なくなってきている。
そんな話をシェフにしたら、塾やったら?と言われた。

私は山岳部の出身なので、山登りや自然の中でやるかなあ、と言った。
今はできないけれど、いつか。

世界は何故平和にならないのか?

人間の歴史は戦争ばっかりで、何故平和にならないのか?
平和と愛に充ちた世界にするお金儲けより、戦争でお金儲けする方が儲かったというのが元だと思う。

日本は、多様性に満ちた国で、自然が豊かだ。この自然の豊かさは、情緒と死生感をもたらしている。そして多様性と同時に存在する一途さを、体に秘めて、世界でも稀に見る平和な国民だ、というのが私の持論。

分断されていないので、究極、世界平和に向かう。

縄文の遺伝子が、古代から脈々と続き、愛と平和を体から語ることができる。

英語で「あなた」はyouしかないが、日本語には、あんた、おまえ、君、いろいろある。人との関係性が文法通りにはいかないので、関係を創り上げる必要がある。

愛をもって部下をしかる、とか、愛をもって取り組むとか、日本の源には、愛があると感じている。イザナギ&イザナミが二人で仲良く国を創っているし。
愛とは融合する美しい生命のエネルギーを元にして、愛は七変化する。いつくしみにも、怒りの中にも、悲しみからも生まれる。

明治以降の近代化と官僚制度、そして、第二次世界大戦後の占領軍政策で、日本は大切なものを忘れてしまった。戦争直後の総懺悔は、鬱病の始まり。アノミーはここからやってくる。私たちが悪かったのではないだろうか、という内面へのフィードバックは、相手が存在しない限り、鬱病になる。元気が無くなる、といったマイナス要因。

それより、先の平和を創ったほうがいい。愛をもって世界に語りかけたほうがいい。
平和はすでにあるものではなく、創るもの。それは仕事でも。

今日、国の借金が1000兆に届きそうなことを知った(自民党時代で作られた比率が殆どなのだが)。あと27兆の借金で1000兆の大台に達する。政治も経済もギリギリのところにいる。

日本がまだ凋落していないのは、国民全体の資産が1300兆(数年前は1500兆)ほどあるため。プラスで300兆となり個人資産の内部留保があるからこそ世界から認められている。この収支が崩れたとき、日本は、投資対象国にもなれず、国債の信用も含めて、まっさかさまに落っこちる。
自民党時代のツケはあまりにも大きい。

最悪は、デノミ、預金封鎖で新札発行し、たんす預金を吐き出させ借金をチャラにする政策が待ち受ける。民主党には、最悪の手段を選んでほしくない、痛切に思う。しかし、国家はデノミを実施する権利を有し、1946年突然、新札発行した。このあたりの混乱は、梶山季之の「小説GHQ」に詳しい。

先ずは官僚の数を減らすことだ。大企業にしても本部機能が肥大して収益が上がったためしが無い。基本は、人数が増えると複雑性が増大し、コストが上がる、自明のことだ。世のため人のために働く官僚のみを残し、給与水準は下げずに、数を減らす。

安いから天下りが増え、天下った団体では、3年で3000千万の退職金をもらい、それを3社繰り返し1億円近い退職金を得るというとんでもない官僚のやり方がある。そして退職金は月単位で計算されているのだ。こんな世界が民間のどこにある?!

ギリギリのところまで来ている。

書き足したら過激になってしまった^^; 今度は芸術の話を書こう。

検察とマスコミ

「情報は、自由になりたがる。」
これは、MITメディアラボの学長であるニコラス・ネグロポンティの言葉。

民主党幹事長である小沢一郎氏をめぐっての一連の検察の捜査活動は、
世論的に小沢氏に分がある。
記者発表を見てそう思った。

検察がマスメディアにリークして世論誘導を行っていること(公務員法違反)、閉鎖された記者クラブの問題とマスコミの利権、新聞の再販制度、新聞とテレビのクロスオーナーシップ(資本提携することによる言論の一元化危惧)に対して、ネット上では怒り爆発である。
私もその一人。

検察とメスメディアが相互権益を自己保身のために、権力を利用しまくっていると捉えられて当たり前だろう。

記者発表に読売TV・読売新聞の記者が何人来ていたのだろう。
質問者の半分近くが読売で、質問の仕方に礼儀の無く、まるで小沢をつぶしてこいという指令を受けているような荒い意気込みだった。
記者クラブを守るために、読売が記者クラブのセキュリティを問題にして、その開放をつぶそうとしている訳だが、レベルが違うところで起こっていることがある。それが、「情報は自由になりたがる。」

反民主ののろしを上げる産経新聞は、小沢容疑者という言葉を間違って使ってしまい、あわてて修正するものの、大阪版では修正が間に合わなかったらしい。一面にお詫び記事を掲載するべきだろう。きっこのブログより

原口総務省大臣が、クロスオーナーシップの廃止を法案で検討すると記者発表したにも関わらず、大手マスメディアは、どこも報じていない。

ネットを通して情報は自由になりたがっており、この大きなトレンドから自分たちが数年以内に見放されることを、大手マスコミはまだ痛感していない。平均年収が1500万というTV局・新聞社は、通常1000万の年収を越えると守りに入り、10年サラリーマンをやると辞めるのが怖くなるという人間の習性から、ますます保身に走ろうとするだろうが、今までの事業モデルが成立しなくなってきているため、レイオフの可能性も今後出てくるだろう。(広告激減。朝日新聞の広告にパチンコ屋の開店広告が入る時代だ)

どうせダメだと思ったら、アメリカのメディアのように、シリコンバレーとレイオフされたマスコミの記者が組んで、新しい事業をくみ上げるような動きでもやってみたらいいのに、と思う。ただし垢を落としてから。

私は、以前、大企業で働いた経験もあり、自主的に辞めて小さな会社を立ち上げ、現在に至る訳だけれど、どうせレイオフされる人たちにアドバイスを送りたい。
会社を辞めたら、土方か飛び込み営業か、ベタな仕事を垢落としのためにやる。肉体労働もいい。私は、垢落としのために、道路工事のガードマンをやった。おかげで6kg体重は減り、足が強くなった。次に、新聞の拡張員をフルコミッションでやった。
新聞の拡張員時代に見たことは、本当に凄かった^^; 
こういう仕事をやると怖いものが無くなる。

先日、自宅の前を工事で騒音が出るため、土方のおじさんが、お詫び回りでやって来た。東北弁で挨拶をしたおじさんの笑顔がきれいだった。私も丁重に挨拶をした。
こういうことは、とても大切にしている。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

最近、掃除が楽しい毎日です。

床のぞうきんがけをすると空間がすっきりとして、
大晦日に玄関から家を眺めていると
思わずパンパンと柏手を打ってしまった。

ここまで掃除が好きになったのは、きっかけがあった。

自宅にしても事務所にしても
必要だけれど、どうしても取っておかなければならない紙資料が
たくさんあって、それをことごとく
ScanSnapというドキュメントスキャナーでデータ化して捨て始めたのがきっかけ。

この気になっているけれど捨てられないという後ろ髪をひっぱられていた状態から、
自分を自由にしてあげる効果は絶大だった。

どうしてもっと早く買わなかったんだろう。

すっきり掃除をすると、次にレイアウトで気に入らないところを直し始める。

このモノはココじゃないよな、と位置変えを始める。

お宮を作るような気持ちになってくる。

終わると柏手を打ちたくなる。

昔、恩師から、工場で働いていたとき、仕事を始める前に
掃除をすると聞いた。
その方が能率が上がるという。

ゴミは、護美と書く。
美しさを守るために捨てる。

世界中の人々に共通の「美」。目に見えるものも、目に見えないものも。

2010年。世界が平和でありますように。

デフレ脱出とアート

政府がデフレ宣言をしてから、ではどうやって抜け出すの?
その答えを考えていた。マクロ経済ではリフレ流行であったりするけれど、
日々仕事で結果を出さないといけない私たちにとってのデフレ対策は?

今考えている答えは、アート、芸術です。

商品のみならず、商品を伝えるということについても、サービスについても、いま重要なものはアートだと思う。

こっちの方が安いとか、ゴリゴリ計算するアポロン的な意識に対して、
ディオニソス的なエネルギーとしてアートはある。

このことに気がついてから、新宿のイシバシ楽器でシンセサイザーを衝動買いしてしまうし、小説が面白くて
ワクワクしながら本を読む楽しさを思い出している。

そんな話をお客さんともお友達とも言える方に話した。その方が京都に行かれたとき、俵屋宗達の風神雷神図おみやげ用の小さなな屏風をプレゼントしてくださった。嬉しいなあ。
私のノートパソコンはデスクトップに風神雷神図があしらわれている。そのことをご存知だったのだ。
感謝。

そして先日、阿佐谷のプラットホームに、長谷川等伯展覧会の大きな看板が立っていて、その作品に圧倒され、しばらく見とれていた。2010年2月に上野で開催される。凄い作品だった。行く予定。
安土桃山から江戸の中期にかけて、豪華絢爛な作品が登場してくる。ギラっとして凄いエネルギーをもった作品群。

そんな話を妻にしてみると、次に葛飾北斎の話になった。妻はその実際の大きさがあまりにも小さいので、驚いた、という。巨大に引き伸ばして見せても、あれだけの迫力を保っている。凄い、と。北斎は、フランスの絵画にも影響を与えている。

1年カレンダー

年末も押し迫ってくると、「1年は早いですね」と挨拶代わりに交わされることが多い。

今年は違った。

仕事場でも、自宅でも机の前に、1年カレンダーを張っている。1月から12月まで一目で見渡せる1枚のカレンダーだ。
このカレンダーを見ていると、1年のうち半分が近いとか、秋あたりになると春にはこういうことをやっていたなぁとか、1年の節目が分る。

1年が早いとは思わなくなった。

こんなにも時間の感覚が変わるものかと驚いた。

この逆は、毎日または月ごとで、大忙しの日々が続いた場合、あっと言う間に半年が経過した、というようになる。

良いと思ったものは人に話をしてしまうので、来年はお客さんや友人でこの1年カレンダーを使う人たちが出てくるだろう。
ちなみに、私は東急ハンズのカレンダー売り場で買いました。500円です。
効果を考えると、安すすぎる^^;