イギリスのEU離脱は必然だった

EUが存続しているのは経済的メリットが主要因である。言語も文化も違う各国がEUというグローバル経済圏の中で存続するには経済的メリットが必要だった。リーマンショックの後、ギリシャ問題に端を発したEU危機を、中央銀行のドラギ総裁がEUを守るためなら何でも行うと宣言し乗り切った。(債権から株式などリスク資産へ移行したグレートローテーションの始まり)

今年に入ってからの経済の減速、先行きの不透明感が、ナショナリズムを噴き上げさせたのだろう。イギリスが英語圏でありEUとは距離感があったこと、自分たちの伝統に対してのプライドが非常に高い。(イタリアにはダンテの神曲で語られるベアトリーチェへの愛を根底する物語があるのと同様に、イギリスにはアーサー王物語がある。)そこに対して外的な要因である移民問題、経済の減速が要因としてあったのだろう。

グローバル経済は、貧富の差は拡大させる。そして成熟した同質的産業主義は逆説的にナショナリズムを孕む。

EUは金の切れ目が縁の切れ目という運命を持っているのだろう。

以下、ナショナリズムについて古典ともなった、アーネスト・ゲルナーの民族とナショナリズムからの紹介。

文化と意志からの説明になる。ナショナリズムは近代以降人間が作った説。

ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である。

2人の男は、もし、彼らが同じ文化を共有する場合に、そしてその場合にのみ、同じ民族に属する。その場合の文化が意味するのは、考え方・記号・連想を、行動とコミュニケーションとの様式からなる一つのシステムである。

これは文化。

2人の男は、もし彼らがお互いを同じ民族に属していると認知する場合に、そしてその場合にのみ同じ民族に属する。換言するならば民族は人間が作るのであって民族と人間の信念と忠誠心と連帯感とによって作り出された人工物なのである。(例えば、ある領域の住人であるとか、ある言語を話す人々であるとかいった)単なる範疇に分けられた人々は、もし彼らが共有するメンバーシップの故に、互いにある相互的な権利と義務と思っていると固く認識するならば、その時、民族となる。お互いがそのような仲間であるという認知であって、なんであれ、彼らをメンバー以外の人々から区別するような他の共通する特性ではないのである。

これが意志。

EU離脱の協議は二年かけて行われるが、EUにとってもイギリスにとっても疲弊のディメリットを生むことは間違いない。

フィリピンでも台湾でも、そしてアメリカの大統領選挙でも、ナショナリズムが勃興しているが、全世界的な状況であり、グローバル経済が逆説的に呼び起こしていると言えるだろう。