サルバドール・ダリ展 国立新美術館 〜友人に誘われて〜

マルセル・デュシャンがジョン・ケージに言った言葉「ダリという獅子の裏に持っている哀しみを見に行ってきなさい」。これは美術評論家の故東野芳明氏が「マルセル・デュシャン」の中で紹介した逸話である。

随分昔に読んだ本なので、少し違いがあるかもしれないが内容は合っているはず。

ダリの裡に存在する葛藤の本質を見事に言い表している。獅子とはダリ自身のことである。ダリは中期の作品活動の中でシュールレアリズム運動に身を置き、自身の無意識下に存在する多くのシンボルを作品に登場させた。グニャリと柔らかく曲がった懐中時計、パラノイアの象徴としての蟻、そして希望としての空。自我のもがき方に強い緊張が走りオブジェとして構成されている。そしてシュールレアリズム運動がフロイトの影響を強く受けている。

ダリの青年時代、ヨーロッパは大戦に突入する。

そのダリに変化が訪れたのは夫人ガラとの出会い。救われた。希望としての空から夫人ガラへ。ガラとの出会い後、作品に空が無くなった。ダリの成功はアメリカのコマーシャリズムが生み出した産物とも言える。奇想天外な行動の多くもダリの名声を拡大させる材料となった。

ダリの裡に存在する強烈な自我。「個性と主体性」は20世紀の芸術運動で避けられない表現軸だった。しかしながら21世紀に入り、主体性は自我の表出から変化し、全体の選択肢の中で選び取る意志に置き換わった。

20世紀の悲しみに充ちた歴史の中で救われなさを生きたダリ。芸術家の精神はいつも時代とともにあることを示しているが、今では人の内面も自由になり、同時に時代を作っていける大きな潮流の中に私たちは存在する。

昔の芸術家を観ると逆にそのことがよく理解でき、そんな恵まれた新しい時代に私たちは生きていると思う。