暗黒大陸日本と未来

円高で82円台を付け、日銀介入で85円後半まで戻し、
その直後、アメリカからは、83円くらいが適切な価格であるとのコメント。
まるで生血を吸われる日本。

中国との関係は、小泉時代に逆戻りしようとしている。

民主党の代表戦が終わり、親米路線が明確に見えるや、出てきたアメリカ、中国の反応。

暗黒大陸化する日本の中で、そして、アノミー化する社会の中で、生命が蝕まれ犠牲になっていく。

人類は未だ急速に進む社会の複雑さに適応する生きたシステムを持っていない。

魂は暗黒を求めず、内面の豊かさから自由を希求し開かれた平和を作り出す。仕事でも家庭でも、もっともっと実際の現場で活かされてくる芽が出ないと、この国はダメになってしまうと痛切に感じる数日だった。

小室直樹さん ご逝去

小室直樹さんがお亡くなりになった。
謹んでご冥福をお祈りしたい。

私は直接教わったわけではないが、本棚のよく見えるところに小室さんの本は並んでいる。

10代の頃、TV番組で始めて小室さんを見た。
なんというか、学問を語る尊厳な雰囲気に対して
四畳半のアパート暮らしで、
エロ本をレポーターに見つけられても
正々堂々と自分の意見を語っていた。
凄い人だなあ、という印象を持った。

その後の田中角栄ロッキード事件では、TVで独り国際法を元に
論陣を張ったことで知られ、この不思議な小室さんの吸引力に引き寄せられて
自主ゼミ入りした学者の方も多い。

私は、そのTV番組を見ていない。

先週、友人に「日本教の社会学」(絶版)という山本七平さんとの対談本を貸して
話をしていた矢先だった。

そして、昨年、10代の男の子に英語を教えていたのだが、進学先の相談も受け、小室さんと橋爪さんがいる東工大の世界文明センターがいいのでは、と答えていた。

小室さんが、一番読んで欲しかった本は
「日本国民に告ぐ」~誇りなき国家は滅亡する~
だと思う。

立って仕事をしたり、散歩打ち合わせをすると

うちの事務所には、110センチの高さのテーブルがあり、そこで仕事をしたり打ち合わせをすることができる。
これは埼玉のキヤノン販売が打ち合わせを立って行っているという新聞記事を読んで実践したところ、大当たりだった。

この応用は、打ち合わせをする時に、散歩しながら打ち合わせをするというパターン。
歩きながら話をすると、なぜかどんどん前向きになってくる(笑)
これは本当だ。
脳の研究者で池谷祐二さんの本に「のうだま」がある。
やる気は脳の淡蒼球が動かないと、続かない。
この淡蒼球を働かすにはどうしたらいいか?という本で、漫画体裁になっていて、面白い。
やる気は続かないのが当たり前で、ではどうしたら続くの?という内容。

糸井重里さんとの対談本、「海馬-脳は疲れない」も面白かった。この本を応用して、あるライセンスを一ヶ月勉強で取得した。
勉強しても翌日には半分忘れるので、期間をあけて3回叩き込むと脳の記憶をつかさどる海馬に定着するという話。やってみたらホントだった。
今でもこれで勉強したことは覚えている。

池谷さんの「単純な脳、複雑な私」も面白い。脳はいかにいい加減で愛すべき奴かが分かってくる。

私たちは、体と脳のことを、あまりにも知らなさすぎたのかもしれない。

知ると、どう使うかが分かってくる。

会社の効率も、実はこういうところから入ったほうが、本当の効果が上がると思う。

巨大地震「連動」のリスク そして猛暑について

以前にも書いた世界的な巨大地震が、離れた場所での巨大地震を誘発しているというナショナルジオグラフィックの記事を紹介した。

日経のWEB記事を読む限り、このことが前提になっているようだ。

地震の際にどんなことが必要になるのか?世のため人のため地球のためを考えるベンチャー企業が立ち上がって欲しいと思う。
簡単なところでは、事務所にPCが多いので、地震の際、パソコンが凶器になって飛んでくるという。これを固定してくれるサービスが出てくれたら、多分、すぐに申し込みすると思う。
防災グッズにスリッパは必須。砕け散ったガラスの上を裸足で歩けない。安否確認システムみたいなのがあったらいい。
いろんな商品やサービスが考えられるだろう。

いずれにしても、地球の危機は、仕事で乗り越えるという人たちが現れてこそ、先がある。

日本は地震が多い国。世界の中でも有数の技術がある。
ヨーロッパやアメリカの石の建物文化に対して、木の建物文化は、より柔軟な構造に対応できる。
この揺れても崩壊しない構造づくりが鉄筋においても活かされているのだろう。
今の中国やインドは都市部でビルを建てまくっているが、地震前提にビルを建築していないとしたら、大変なリスクを今後背負うことになるだろう。

さて、この夏の暑さも、偏西風の流れが変わったことによって
海水の温度が上がり生じていることらしい。
エルニーニョでは日本は寒波になり、ラニーニャでは猛暑になる。
wikipedia:エルニーニョ参照。

エルニーニョは温暖化が原因ではないとされている。
周期的に訪れる現象。

しかし、直感でいえば、良くなることはないだろう。
そして人類は自然に対して支払う代償が、どんどん大きくなるだろう。

20代の頃に地球の軸がズレてきているというデータを見た。
それは核実験があるたびに、北極を真上から見ると、きれいに円周を描いていた地軸の軌道が、
ギザギザの円周を描くようになるというデータだった。

現在は、地震によって、更に、その円周がズレているのかもしれない。地球が地殻変動期に入っているため。

自然環境は、その非線形の世界で、突然、雪崩的にカタストロフを起こす。

いずれにしても、次の資本主義のステージは、人間がこの惑星で生きていける手だてをいかに身に付けるか?何がわからなければならないか?にかかっていると思う。

人間は、予測を裏切ることができる唯一の生き物である。

予測を裏切ること

予測を裏切ることは、創造に通じている。

毎日が暑い、世界のいたるところで大雨や洪水が起こっている。

予測で考えると、地球の環境は益々悪化する一方。
資源も限られている。

でも、人間は、予測を裏切ることができる唯一の生き物。

それは創造に通じている。

富士山に登る

人間は、人間が作った社会をコントロールできなくなっている、これが最近の実感。
壊れるものと生まれるもの。
せっかく二度とない人生、生まれる側に賭けよう。

7月に以前から興味があった千葉県佐倉市にある麻賀多神社に行った。

そして、8月は富士山に登った。
5合目までバスで。そして8合目の山小屋で一泊。
深夜2時から頂上をめざして登山。

「見晴しが良い」の見晴らしは、「身を晴らす」に通じることがわかる。
そして、「晴らす」とは、平和を作り上げる力に通じている。

就寝中の蚊を撃退する方法

夏の夜、ぐっすり眠っているときに、ぷ~んぷ~んと耳元で飛ぶ蚊。
嫌ですね。
手で払ってもまた戻ってくるひつこさは、CO2のせいです。
そこで私が編み出した蚊の撃退方法を紹介します。

先ず、蚊が飛んでいるときに
掛け布団を、顔の上50cmくらいに、ガバッと上に持ち上げます。
頭と布団の間に入り口をトンネルのように作るわけです。
出口の無い布団トンネルです。

ぷ~んと飛んできた蚊をそのトンネル空間に呼び込みます。
そして、入った!というところで、急いで布団を覆いかぶせます。
頭の上あたりまで戻します。
蚊を布団と体の間に呼び込んだわけです。

そして、両手を布団から出して、外から布団をパンパン叩きます。

布団と体の間で行き場を失った蚊は、このパンパン攻撃にやられるわけです。

朝起きたとき、顔に蚊がくっついていないかチェックしましょう。
そして、隣で奥さんが寝ていたら、何事かと思いますので
事前に話しておきましょう(笑)

この発想は、アングロサクソンでは出ないと思います(^^)
蚊を追っかけて叩き潰すというのが、アングロサクソン的だとすると、ですが。

8月9日

「分かる」とは、どういうことなんだろう?

そんなことを考えていた日だった。

昼、小林秀雄さんの講演CDを聴いていた。
そこで、本居宣長さんについて、以前は2つの側面で説明しようとする人たち対して
直覚的に違うと感じた、らしい。

こういう面もあるし、もう一つ別の面もある、というように。

小林秀雄さんは、本居宣長が一つになって現れてくるので読み込んだという。

分ける → 分かるということは一体どんな行為をしているのだろう?

分ける人が、その人にとって、都合のいい解釈やグルーピングをしており、
それは分ける主体が恣意的な作業を行っているため、分けられたものは、本来のものとは異った断片に対象化されてしまう。

それは言葉によって分けられた数限りない断片を、ああだこうだとやっていることに他ならないのだろう。

人はその作業で自分を納得させているかで、友人らしき人たちと文脈を共有している訳だが、その結果、徒党を組むことになる。

本当は分けられない。だから簡単には分からない。

簡単には分からないと考えている人たちが、真理を求めるとき、アカデメイアの地平に光が射す。

そんなことを考えていた日だった。

今日、8月9日は長崎に原爆が落ちた日。

分けないで考えると、その悲惨さに胸が痛む。

8月6日は原爆が落ちた日

広島に原子爆弾が落ち、14万人の罪もない市民が亡くなられた。

そして今も被爆で苦しんでいる人たちがいる。

絶対に忘れてはならない日。

今起こっていること

現象界が煮詰まっている。現象界は、モノとカネの世界。
この煮詰まりの結果、自己都合で思いやりのかけらもない自己中心的な意識とともに
人間の感情や衝動が噴出してくる。

一つ一つの小さな現象でも明確な背景と輪郭を持ってくる。

その出来事はなぜ生じたのか?
その出来事には、どんな要素が組み合わさっていたのか?

ニュースで毎日のように報じられる出来事にしても、政治にしても経済にしても
この現象界での組み合わせの結果、起こっている。
膨張のインフレに対して、収縮のデフレは、構成する要素をより明確にしてしまう傾向があるため
煮詰まりが起こる。

人間の感情についても然り。
ちょっとしたことで怒ったりするのは、感情が現象に左右され、川面に揺れる浮舟のようなあやふやなものになっているからであろう。
そして自分にとってちょっと都合のいいことがあると幸せだとか喜びだと感じているのが現実である。

しかしながら、より深く、より遠くから全く異なるエネルギーが生まれていると感じている。
煮詰まれば煮詰まるほど、深く遠いところから、はっきりして浮かび上がってくるもの。

分かりやすく仕事で言えば、それは、ミッション、ビジョンと呼ばれるものであり、トップ=代表が体現しているものになる。

モノは、合わせ鏡で考えるならば、その裏で作り出しているのは人間である。
どうもここがひっくり返ってしまっている。モノが先にあって人間が従属しているようなひっくり返り方が気に食わない。

昔、宮大工の方と話す機会があり、昭和30年代から始まった高度経済成長期に販売された家が、生涯住み続けるには、建て替えが必要になる日本の住宅事情に憤り、一生涯住める独自の注文住宅を事業展開された方だった。先日、奥山清行氏の本「伝統の逆襲」を読んだ。
やはり闘っている方々には、胸を打つものがある。

安くて使い捨てというアメリカナイズされた文化は、元々日本にはなかった。

さて、この使い捨て文化の傾向は、1995年から加速する。
日米構造協議である。大店法の撤廃が、商店街を壊滅状態に追いやり、地域の共同体が崩壊し、郊外の風景が崩れた。戦後二回目の敗戦だった。そして年次改革要望書が毎年突きつけられる。
2009年12月以降の改革書は、亀井元金融大臣が止めていたという話もあるが。

ワンシーズンしか使えないユニクロの千円セーターは、罪つくりと言わなければならない。
別にユニクロ全体を否定しているわけではなく、ヒートテック靴下は私も重宝した訳だが、
奥山氏の言葉を借りて言うならば、
モノを作るということは、生きているものを殺して作り上げる訳だから、今までより以上の価値を持つものを創り上げなければゴミを作ることになる。

少し引用しよう。

「伝統の逆襲より 引用~
「もの」を創造するときは必ず、どこかで同時に破壊行為が行われている。建築をする時は森で木が切り倒されているわけであり、自動車を作る陰には、大地を 削って鉱石を掘り出し、エネルギーを注ぎ込んで精錬している。最近では「環境に負荷をかける」という言い方がなされるがすべて破壊行為にほかならない。自 分の目に入らないところで起きているからといって、なかったことにはならないのだ。
だから破壊行為を上回るだけの「もの」の価値がなければ、新しいものは作ってならないのである。それがモノ作りをする人間にとっての規範だ。私は「レトロ 商品は根本的に悪である」と言い切っているのだが、それは破壊行為をしておきながら、昔と同じもの作っているからである。
~引用終わり」

これは凄い精神である。

言い換えれば、エントロピーの法則から私たちは逃れることはできず、使えるモノから使えないモノに変換せざるをえない文明の中に生きており、その物質のエネルギーを役立てる志というか精神が、アメリカナイズされた大量生産~使い捨てという物質文明とは決定的に異なる。

食べ物で言うならば、マズイものを作るのは、冒涜である。モノを人間のために使えない形にして、マズイものを作る訳だから。そして要となるのは、モノを作っている人間の状態が関係している。
スタッフがハッピーにやっているレストランは美味しい。

数日前、自宅でパーティをやったとき、私は味噌汁を作った。
友人がシジミを持ってきてくれたのでシジミ汁を作ることにした。
「シジミの口が開いたら、味噌を入れて大丈夫だからね」と友人。
そして、煮立った出し汁にシジミを入れたとき、すぐに口が開いた。
自分は生きているものを殺し、食べようとしている、そして同時に言葉が出た。
「シジミさん、私たちのために命を捧げてくれて、ありがとう。あなたたちの命は無駄にはしません。」
友人は、「今日は、ありがとうの日だね」と言った。
みんなが美味いと舌鼓をうってくれたとき、何かが味方してくれていると感じた。

日本vsパラグアイ戦

今回の敗退は、今までと違う、そう思った。
次を感じさせてくれた。
チームワークが本当によかった。
PK戦で日本の敗退が決まったとき
すかさず駒野のもとにやってきたパラグアイの選手も偉い。
駒野の肩をずっと抱きかかえた松井も遠藤も優しい。
川島は自分が一本防げたら、と自分を責めている。

韓国は敗退が決まった直後、日本代表にがんばって欲しいとエール送っていた。

サッカーはきわめてヨーロッパ的なスポーツだ。一国が地球を覆うようなアメリカ的な要素は無い。
市民革命を経て、2回も大戦で国土が焦土と化したヨーロッパの中で育っている。

もんでもまれてお国柄が出る。

闘莉王が、もうこんないいチームワークは今後、生まれないかもしれない、と言っていた。
しかし、日本の誇るロケット博士こと糸川英夫さんの「独創力」から引用。
阿久悠さんと会ったときの話を書いてらっしゃる。
何度もレコード大賞を取った方だが、大ヒット曲ができるたびに、俺はもうこれで駄目かもしれない、と思いながら次の作詞を考えています、という話をされている。
糸川先生は「逆転の発想」がベストセラーになって、同じようにこの先もダメだろうと嘆息したらしい。そのあとで「ケースD」が評判となり、「前例がないからやってみよう」が続けてベストセラーになった。
全力を出しきった後に、次が生まれる、このことを糸川先生は言いたいのである。

120分の戦いを終えた選手たちは、全力を出しきった。

だから次がある。

次のワールドカップが楽しみだ。

ポストモダンには、根源でいく

昨日、ある学者が話すのを聞いていたら、意味は分かるが、伝わらないと思った。
言葉が記号化して、人の胸を打たない。

ポストモダンの時代だからこそ、より根源的なことが必要になる。

死生観、生き方、そして言霊が大切になる。

実体語と空体語について

実体語と空体語は、故山本七平氏が提唱した日本分析のキーワードである。日本国民は常に、この二つの極を行ったり来たりしてコントロールされてきたと述べている。

実体語と空体語を具体的に紹介することにしよう。(「日本教の社会学」山本七平&小室直樹対談より)
「モデルとして太平洋戦争末期をとりあげてみましょう。あの頃、無条件降伏という実体語があれば、一億玉砕という空体語でバランスをとっているわけで、その空体語がないともう何も機能しない。

ところが、一億玉砕というのは極限ですね。どうもできませんね、これ以上は。これ以上もう空体語を積めなくなる。

~中略~

実体語の方が重くなると、空体語の方をどんどん増やすわけですよ。だからこの表現はどんどん上がっていって、降伏直前には一億玉砕まで上がっていく。それが極限まで行っちゃうと、もう方法がない。もう空体語を重くできない。

これ以上重くできないとバランスが崩れて、実体語の方が上っちゃう。こうなると困るから、今度は支点を空体語の方に寄せていく。それも極限までくると、もうバランスがとれないから一回転してストンと両方落ちちゃう。そうすると、次の瞬間は何もなくて、天秤の支点は真ん中にあって、実もなければ空もない、自然的虚脱状態に立つ人間がいるだけ。

次にそれを機能させようと思うと、空体語の方に、民主主義でも何でも、いっぱい積んでくるんです。そうするとこれはバランスを取るために実体語の方に事実を積んで行かなくちゃならんでしょう。

これは安保だってそうです。しまいに空体語を積み切れなくなる。また、天秤の支点を動かしていく。また極限までくるとガチャンとひっくり返る。その瞬間にまず全部言葉を失う。たえずこれを繰り返しているわけです。(P142-144)」

実体語は現実に即した言葉となり、空体語は現実の枠組みから解き放たれようとする言葉となる。

実体語と空体語は日本の社会分析のキーワードとしてあるのだけれど、ミクロの生活においても適応する。

たとえば生活においても現実のしがらみだけが重苦しくなったとき、空体語が必要となる。また空体語が重くなりすぎて、がんじがらめになったとき、現実が必要であると揺り戻される。支点は生活者になる。

社会分析を行う上で実体語と空体語は、日本を包む全体の空気(空気認識)がベースとなっている。

KY(空気が読めない)が流行語になったが、この空気は、今はそんな空気じゃないよね、とか、今は行ける空気でしょう、など判断の基準に用いられる日本の不思議な社会認識で、大衆心理の仮想空間として存在しあたかも実体を持った基準のように機能していく。
実体語と空体語は、その空気という空間の両極で揺れ動く心理特性である。

そしてこうも言える。
空気が片方の極に寄っているときに、その失敗を突いて、逆の極情報を操作して流すわけだ。
日本人は善良な国民なので、この手法でコロリとやられる。

先ずは全体を認識すると抜けられるだろう。

iPadは、やっぱり入荷待ちだった。。。

以下の投稿は、2010年5月のものになりますので、最新情報ではありません。

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e-mobileを使っているので、PocketWiFiに契約変更して、よし!これでiPadが使える!と思って早速係りのお姉さんに購入申し込みしたら、やっぱり入荷予約待ちだった^^;
新宿のヨドバシカメラでダメならsofmapへと。これもダメだった。
6月中旬には入荷予定ということ。
すごい人気。。。

700gという軽さは魅力的で、WiFiエリアでなくても、PocketWiFiにしたら、どこでもネットは利用できるので、この方法で行こう!と楽しみにしたのだったが。。。

最近システム手帳(800g)をやめて、Mnemosyneという1ページを簡単にミシン目から切りはすことができるA5ノートにして、事務所に戻るとすぐにドキュメントスキャナーでpdfにするというスタイルに変えた。なかなか快適。

ペンケースを購入して、開くとペンの一覧が見えるタイプに。今までシステム手帳にペンをくっつけていた^^;
システム手帳のスケジュールは、Googleカレンダーにして、携帯からも入力できるようにしている。
住所録はoutlookで整理していたけれど、これもiPadとの間でコンバートはできそう。

いつもノートパソコン(lenovo X200 1.8kg)を持ち歩いているのをiPadに変更できて、システム手帳も持ち歩かず、軽くなっていいなあ、というのが私の新スタイルなのだけれど、入荷待ちでもう少しかかる。
iPadでメールが打てるかどうかは、やってみないと分からない。ワイヤレスのキーボードもオプションであるけれど、これは持ち歩くものではないみたい。

軽くなった分、昨年購入したsonyのビデオカメラを持ち歩きたいと思っていた。
時々、街の夕焼けが凄くきれいだから。