8月9日

「分かる」とは、どういうことなんだろう?

そんなことを考えていた日だった。

昼、小林秀雄さんの講演CDを聴いていた。
そこで、本居宣長さんについて、以前は2つの側面で説明しようとする人たち対して
直覚的に違うと感じた、らしい。

こういう面もあるし、もう一つ別の面もある、というように。

小林秀雄さんは、本居宣長が一つになって現れてくるので読み込んだという。

分ける → 分かるということは一体どんな行為をしているのだろう?

分ける人が、その人にとって、都合のいい解釈やグルーピングをしており、
それは分ける主体が恣意的な作業を行っているため、分けられたものは、本来のものとは異った断片に対象化されてしまう。

それは言葉によって分けられた数限りない断片を、ああだこうだとやっていることに他ならないのだろう。

人はその作業で自分を納得させているかで、友人らしき人たちと文脈を共有している訳だが、その結果、徒党を組むことになる。

本当は分けられない。だから簡単には分からない。

簡単には分からないと考えている人たちが、真理を求めるとき、アカデメイアの地平に光が射す。

そんなことを考えていた日だった。

今日、8月9日は長崎に原爆が落ちた日。

分けないで考えると、その悲惨さに胸が痛む。