宇宙の中で地球が生まれる確率は、10の15乗分の1

地球がもし金星に少しでも近ければ太陽のやけ尽くすような熱を帯びた惑星になっているし、火星に近ければ乾燥した惑星になっている。非常に狭いバンドで太陽の周りを回っているのだが、このバンド幅を10分の1とすると、現在の地球の状態が存在するには、その他確率要素を加味すると10の15乗分の1という確率でしか存在し得ないらしい。

銀河系は約1000億個の星で構成されるため、同じような銀河系が1万個ある中で、一つ生まれるかどうかの確率になる。宇宙のローカルでこの上なく恵まれた惑星の上で戦争と喧嘩にあけくれる人類は、宇宙の中でどう映っているのだろうか?自分たちの作った神で戦い、自分たちの作った金で豊かさを計り、自分たちの自分たちのと自分ばかりの事を考えている生き物は、大きな大きな全体の中で迷惑この上ない生き物として存在しているのだろう。人類が滅亡しても地球は残っている。

生物の多様性は、或る生物が多くなりすぎることも少なくなりすぎることも無く、この星で適応していく最適な環境とバランスを維持していた。江戸時代まで絶滅した生物は無かったらしい。

イギリスの産業革命時代に、森が煤煙にまみれ黒く変色していった。森で生存していた蛾は、白色だったが捕食から逃れるため黒色に変化したことが記録されている。突然変異が起こった。

人類に突然変異が起こるとすれば、どんなものだろうか?
世代が下れば下るほど環境適応を強いられ、その中で生物としての最適解を求め続けることになる。人間にとっての最適解が変わらざるを得ないところまで追い込まれた結果、突然変異が生まれるか、絶滅に向かって盲目のまま突き進んでいるか、その答えはすでにあるとも言える。

ネガティブな意味でのオジサン、オバサンが全体よりも自分を優先させることで自我を信じ込んでいくのに対して、突然変異は全体を優先させているのだろう。自我とは近代以降に作られた人間固有のペルソナ(仮の外的側面)でしかないことが暴かれてゆき、閉塞した社会の中で頭の良い人間にとっては、なんと詰まらないゲームかと思えるだろう。

このBLOGを読んでいるのが若い人だとすれば、どうかシニカル(皮肉)な言い方に汚染されないで欲しい。それは何も生み出さず、閉塞された社会状況の中で、空虚な優位に立とうとする汚染でしかない。

付き合わなくても良い人間とは付き合わなくて良い。それよりあなたが感じていることを話してみたとき対話ができる良質な人と付き合うことだ。
誰もあなたを評価なんかできないし、あなたには裡から湧き出る志があることを思い出して欲しい。
そして宇宙から地球を見たら人間が何をやっているか?赤子になった気持ちで見てみて欲しい。

 

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