愛の真柱

宮大工は1000年の木を伐採して神社仏閣を造るとき、1000年持たせる事を前提にしている。釘は一本も使わずに一つ一つの部品はサイズが違えど年を経るごとにしっかりと組み合わさってより頑丈になっていく。1000年の命をいただいて使わせてもらう気持ちで仕事をされるという。

昔の人は「もったいない」という気持ちがあった。私の母は贈り物をもらうと、その包装紙や紐をまた使えるように保管していた。ごはんを残したらお百姓さんがせっかく作ったのだからもったいないと叱られた。和裁をするときも気に入ってもらえるように、そして長く着てもらえるように精魂込めて縫っていた。

私の妻はケーキを作るのが仕事だが、先週某流通店に出店したところ、菓子屋が三店出ることになっていた。妻が提供するシュークリームは他店の三倍の値段だったのだが、食べた方々が美味しいからまた買いに来たわよ、とリピートしてくれたことを嬉しそうに話してくれた。何個でいくらみたいな叩き売りはしない。お客さんの喜ぶ顔、食べてくれて笑顔が拡がった家族の風景にエネルギーの交換を感じた。

私も嬉しくなった。

三つの話に通底する愛の真柱。

モノも人も良質で高いエネルギーで回るとき縁も動き出す。