日本人の統合力

あらゆる言語の中でも日本語は特別な位置づけである。漢字、カタカナ、平仮名、外来語を使い分けている。外国に行けばもっとシンプルなコミュニケーションになっている。ルールがあるのを感じる。そのルールが宗教であったり文化的規範であったりする訳だ。しかし日本語は状況によって表現を使い分け自分にとって最適な言葉を選んでいる。
例えば○○さん、あなた、おまえ、○○ちゃん、そしてあだ名だったりする。この初めの呼び方を決めるのは一期一会であったり関係であったりする。

日本人は状況を最適化するように、この複雑な言葉を使い分けている。自由自在な言葉であるので、落ちるも上がるも自分次第なのである。他者と上手くいく上手くいかないも自分次第なのである。

日本語には自然が内在している。自然と共に生まれた言葉は、自然と命をつなぎ母子関係で育まれる。愛に満ちた母子関係からやがて自律した存在へと自らの旅を始めるのは神話学者ジョセフ・キャンベルの言う英雄物語の通りだ。古事記ではスサノオの物語で知られる。初めは泣き虫だったスサノオがやがて成長しオロチを倒し結ばれる物語だ。オロチが縄文の神であった蛇の化身であることを考えると古事記も後の時代に編纂された歴史観を示しているが、ここでは触れないことにする。映画スターウォーズはこの英雄物語をベースにしていることで知られることを指摘しておこう。

さて、この状況の最適化を複雑な言葉で行うためには、魂が必要である。つまり複雑だからこそ何処にでも行ってしまうため、魂が必要なのである。使う言葉によって気分が変わったり関係がこじれたりすることは日常茶飯事である。しかし状況を良くするには魂が必要なのである。魂は世界のありように対して希望、祈り、平和、そして異議も唱える。それは小さな家庭内の人間関係からワールドワイドの世界、そして宇宙に至るまで同じである。

ヨーロッパの近代はデカルトから始まる。意識と身体を分け、意識は世界を構築し、1対多で制御してきた歴史である。現代が多対多を前提にしていると、1として機能する国家、1として機能する神、1として機能する○○は、現代の状況の中で変容を迫られる。日本人が凄いのは、この多対多を混乱すること無く生きることが出来る。それはすべてを受け入れ越えていく魂の活動があるからとも言える。

ヨーロッパの限界、アメリカの限界は東洋だけでは解決できない。黄色人種も黒人も、そして白人も、区別では無く、違いを理解し、新しい関係を作るための言葉を発するその魂に平和が宿る。日本人が持っている世界での可能性、ひいては宇宙での可能性である。

縄文人と遊び

上野の国立博物館で開催されている「縄文展」に行ってきた。

国内で開催された縄文の展示会で最大規模だろう。

最古は7000年前から1万年前の土器まで展示されている。
初期の土器でも縁取りにデザインが施されており土器全体にも紋様が施されている。世界の四大文明に比べていち早く創意工夫が生まれているのは驚きだ。

有名な中期に生まれた火炎式土器の展示で考えてみた。

機能を無視して燃え上がるような形態を創り上げた縄文人の状態になってみると、遊び心があったんだろうという結論。土器を創り上げるには抱きかかえるように作ったと推測するが、機能ではなくエネルギーがある曲線やそこから吹き上がるようなフォルムの数々を生み出す遊び心。皆で創り上げた土器を鑑賞し合って面白がる文化。縄文人のコミュニティが統制された政治的形態とは無縁の集団的エネルギーに満ちていることを感じる。
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宇宙の中で地球が生まれる確率は、10の15乗分の1

地球がもし金星に少しでも近ければ太陽のやけ尽くすような熱を帯びた惑星になっているし、火星に近ければ乾燥した惑星になっている。非常に狭いバンドで太陽の周りを回っているのだが、このバンド幅を10分の1とすると、現在の地球の状態が存在するには、その他確率要素を加味すると10の15乗分の1という確率でしか存在し得ないらしい。

銀河系は約1000億個の星で構成されるため、同じような銀河系が1万個ある中で、一つ生まれるかどうかの確率になる。宇宙のローカルでこの上なく恵まれた惑星の上で戦争と喧嘩にあけくれる人類は、宇宙の中でどう映っているのだろうか?自分たちの作った神で戦い、自分たちの作った金で豊かさを計り、自分たちの自分たちのと自分ばかりの事を考えている生き物は、大きな大きな全体の中で迷惑この上ない生き物として存在しているのだろう。人類が滅亡しても地球は残っている。

生物の多様性は、或る生物が多くなりすぎることも少なくなりすぎることも無く、この星で適応していく最適な環境とバランスを維持していた。江戸時代まで絶滅した生物は無かったらしい。

イギリスの産業革命時代に、森が煤煙にまみれ黒く変色していった。森で生存していた蛾は、白色だったが捕食から逃れるため黒色に変化したことが記録されている。突然変異が起こった。
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認知症での薬管理

久しぶりのブログとなってしまった。
申し訳ないです。

昨年母が逝去し、今日のBLOGは介護の方法論として参考になればと思う。

軽い認知症で近所の総合病院に通っていた。住んでいたのは近所のワンルームマンション。
7年前から週に1度は食事をした。曜日を決めることが大切だった。

薬の管理について以下で参考になればと思う。

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ユーロ、世界経済、そして若い人たちの希望

今年はアメリカ大統領選の年。アメリカの現政権は、選挙まで株を落とすわけにはいかないため、何が何でも上げてくる。そのためには、ユーロ危機すら手のひらを返したように買い戻しが入る。ドル売りユーロ買いが株上げの条件となる。つまり、リスクオフでないと株は上がらない。リスクオンでドル買いとなる。
このユーロ買いは、ユーロ共同債で南欧を救うというプランが前提となっている。9月12日にこの共同債が違憲かどうかの審議結果が出る。ほぼ条件付きであれ通ると読まれている。その後のFOMCにおいても、バーナンキ議長のドル安肯定はよっぽどのことが無い限り崩れないと見られている。9月7日のアメリカ雇用統計の数字が良くなかったため、いつ何時でも追加緩和の用意があるというメッセージングもユーロ高を支持している。
このリスクは原油高であるが、全体として、危機救済のためには仕方ないと見られているだろう。

はたして、この流れはいつまで続くのだろうか?年内はもつかもしれない。

要は、2007年6月をピークとして、リーマンショックに至った経緯は、未だ薄氷の上を歩む資本主義が、次の新しいステージ、産業を生まない限り、何も変わらないこと。一時的な戻しであることになる。何故、リーマンは潰されて、AIGは残ったか?デリバティブの残債が巨大であったこともさることながら、リーマンはロスチャイルド系に分類され、アメリカの新興財閥系WASP系ではなかったため精算されたと見るが、たった8%の損失でもあれだけの震度があったのは、CDO,CDSのデリバティブがそれまでの限られたマーケット市場の規模を数学的に非常に複雑な仕組みで実体経済以上にパイ自体を巨大に見せ、市場参加者の利益を嘘のように作り上げた結果、サブプライムに発する小さな亀裂が全体の亀裂につながり、複雑系の「べき常則」である砂山に砂を積みまして突然崩れるようにして崩壊し、その後は、追加緩和策を2回実行し、今に至るというのが金融の歴史だ。

今年のギリシャ危機からスペイン危機がたった数ヶ月前のことであり、世界は四半期で激変するのが当たり前となっている。

中国とインドの落ち込み方もひどく、友人に中国の状況を聞いてみたところ、日本と同じで大学を出ても就職が無い学生が5割。インドは投資不適確の烙印を押され、今後の展開に苦しんでいる。韓国も同じ。韓国は1990年後半に国家財政破綻し、IMFの介入があった訳だが、この理由は、対日本へのジェラシーが競争力分野で造船などマーケットを見誤ったところに巨額の投資を行い、アジア通貨危機(ジョージ・ソロスがタイ通貨への仕掛けた大暴落に端を発する)で財政が破綻した。その後、IMFは8%(何故こんなに高いかは悪徳な理由がある)ほどの金利で韓国を救済するという名目で高金利政策を行い、海外からの投資を集め持ち直すが、韓国経済は、外資に依存し、輸出に依存する脆弱な基盤であるため、次に恐慌レベルの落ち込みがあり全体の経済が信用収縮したとき、とても持続できる基盤ではないことが知られている。日本は通貨スワップでこのとき韓国を救う訳だが、竹島問題で今白紙に戻している。

さて、話をもう少し遡ってみると、ウォール街の大暴落に端を発した恐慌は、第一次大戦の後、巨額の負債に苦しむドイツからヒトラーを生まれ、第二次大戦を経てようやくこの恐慌に解決がついたという歴史がある。今の状況は、昔ならば戦争しか解決の手段が無かった。
まだ、膨大に拡がる世界中での暗黒デリバティブの負債を解決するのは、マネーサプライを増大させるしかなく、インフレにもっていくしかないのだが、経済成長がゼロサムを続ける限り、自ずと限界がある。ハイパーインフレにはできない。デノミ、通貨バスケットでの地域的解決が、このインフレの解決手段になるだろう。

回避できるのは、次のステージに向けた資本主義・社会のメタモルフォーゼというか変容しかなく、個人の自由と社会の調和、創造と幸福、相互扶助をキーワードにした人が生きる内的な意味でエネルギーが優先される社会と経済のポテンシャルが上がることによって達成されるだろう。
この変化とともに次の社会がある。エントロピーの増大と複雑系は避けて通れず、積極的に受け入れて明日を生きることでしか開けないのである。だからやることが多くなる。

現在、どこの先進諸国においても政治が機能していない。
あまりに複雑すぎる要素に対して政治が対応できなくなっている。

日本にはすべてが集まる。
神も文化もモノも。そして受け入れられている。
多様性を受け入れて自分たちのものとし、明日を生きる統合力を持っている。

日本人には何故それができるのか。
私は海外30数カ国に行ったが、こんなことができるのは日本だけなのである。

戦後の愚民化政策からの覚醒は、歴史的事実を認識することから脱出するとして、自分で物事を考え動ける若い人たちが増えてくるだろう。

20代の人たちと話すと、就職先にこだわっていないようになってきている。世に言う一流企業に就職しても5年後にはリストラにあうかもしれず、自分たちの能力と経験値を上げる人との出会いを求めているように思う。団塊の世代とロスジェネの断絶もここにある。そして退社の理由の8割が上司との不和という理由がある。

日本の大企業は、戦後に誕生しすでに60年経過しているため、システムが古い。特に意思決定が遅いのと、既存権益組にも配慮しなくてはならなかった。しかし、仕事をする上で大切なマインドからやる気、ビジョンの共有を築くシステムが単純すぎて状況に合わず、古くなっている。今までのシステムで生きることができた団塊の世代や50代60代の人たちは自分たちの経験値で物事を図るためギャップが生まれている。私の周りで20代の人たちが独立していくケースが目立ってきた。とても元気だ。話していると仕事をしていないオジサンたち、世間知らずの自己中オバサンたちがうざくなる。

こういうイキのいい若い人たちが、日本を捨てないことを祈っている。彼らはとても仕事をしている。
いずれ彼らは会って元気になる人との間でしか仕事をやらなくなるだろう。
すでにオジサン、オバサンたちに下克上を突きつけている。

若い人たちにニーチェが読まれているらしい。ニーチェは言説がすべて反語になるが、読み方を間違えない限り、自由と価値の創造を説いている。

日本は海外から期待されている

5月21日の週は、ギリシャから始まりスペインに端を発するユーロの金融不安で揺れた週だった。
ユーロドルは、1.25の重要なサポートを割り、2002年から続いていた超長期トレンドを割りこみ、逆に基軸通貨のドルが買われる事態となった。
この影響は、ユーロ圏への輸出比率も多い中国経済の減速にも影響し、LINKされているオーストラリアの貿易収支(対中国が輸出の3割)にも影響が出た。
金融不安の中で、基軸通貨のドルが買われ、ドルインデックスが上昇している。
ドル円は、先日のBLOGで94円をめざすだろうと書いたが、ユーロ円その他に引っ張られ、難しいかもしれない。このままいけば、株も上がらないし、このまま行けば2014年にアメリカが金利を上げるため、先物商品のバブルが崩壊するかも知れない。
日本にいると海外の切迫感、特にユーロ圏の状況はつかみがたいが、スペインでは一時取り付け騒ぎも出たらしく、フランスでは金持ちが国外退避しているという情報もある。
ギリシャ問題は、3月中旬の投票でユーロに残るかどうかが決まるが、もし残らないとなると、厳しい事態が待っている。元々、50兆円ほどの問題が、デリバティブで500兆円を超しているため、これが問題だった。500兆円と言えば、日本のGDPが450兆なので、それより多い。
ゴールドマンサックスがユーロ圏で創業以来2回目の大赤字を出しており、2月14日のバレンタイン宣言で超円安を作り上げた外資の主要メンバーが、彼らとなっているのは、その大赤字を埋める戦略が元になっている。
RISK-OFF,日銀の追加金融政策も変更無しの円安要因がないところで、ドル円は、本来上がらないのだが、3月につけた週足の上昇とドルフランのストレートドルでの急激な上昇で下落が防がれている。
輸出企業が厳しくなる。
5月の上旬までは、ここまでドルは強くなかった。中国がイランとの原油取引で元を使うというニュースにしても、世界が多極化していくその長いトレンドの象徴でもあった。リーマンのときでもそうだったが、ドルを本国に戻す動きの中での強さであり、円がそれよりも強いため円高になっていた。(ドル円は下げすぎた後の自律反発から95円まであげた後、その後が本当の円高になるだろう)
ドルは基軸通貨であることをいいことに、ジャブジャブ印刷して双子の赤字が膨らんでも、国債格付けが落ちないという世にもおかしななドルの循環システムを作り上げているので、このシステムが崩れると、アメリカから金融恐慌が始まる可能性が出るため、アメリカの格付け会社を使おうがどんな手を使ってもこのシステムを守ろうとしている。
昨年、アメリカの格付け会社が、アメリカ国債の格付けをユーロやアジア圏と同じように平等な判断から、格を下げたところ、その社長はクビにされたという、この事実からも、いかにアメリカがやっきになっているかが分かる。
今の歴史は、第一次大戦、第二次大戦を経た悲劇の歴史でもあり、教科書にはまるで出てこない真実の歴史が一方であるたことを考えると、戦争と生き残りを前提として戦略展開している人類滅亡の歴史でもある。

2012年の半ば、何が起こっても不思議がない。

では、私たちにはどんな可能性があるのか?
日本人を嫌っているのは、アメリカ、中国、韓国の3国が中心で、中国、韓国は歴史教育の結果だと思うが、アメリカの場合、日本をナメている。キッシンジャーやジャパンハンドラーズの一派が「ジャップ」という蔑称を使うのは、世界でもアメリカの連中くらいだ。2発の原爆を落としておいて、よくそんなことができるな!と憤りを覚える。真珠湾にしても事前に知っていたことが暴露されている。
上記3国以外では、日本人は非常に好感を持たれている。
戦後の復興を成し遂げたその秘密を教えてくれ、とか、尊敬されているのだ。この国は。

それが、日本の自虐教育含めて、まるで自信がない平和ボケした国民に成り下がっているのは、哀しい。
平和は人類の悲劇も全部分かった上で、いかに大切であるか、そして作り上げることの大切さを知っている日本人が、伝え始めることが大切。

海外から日本は期待されている。そのことは知って欲しい。

2040年くらいまで地球上の人口は増え続ける。資源、環境問題、天災、これらを解決する新しい資本主義のステージと共存の精神がヒントになるだろう。

本来なら、もっと明るいことを書きたいのだが、今週は特にそういう気分になれず、鬱々としていた。

妻にそのことを話し、なんか明るいニュースないかなあ、というところで
ペンギンの脱走事件の話をしたら、少し持ち直した(笑)
これは葛西臨海水族館で飼育されていた140羽のペンギンのうち、1羽のペンギンが脱走したという事件で、職員が捕獲したらしいのだが、脱走したペンギンの勇姿を想像するに楽しくなってしまった。すごいペンギンだ。自分一人で脱走するんだから。
人間も今の制度の中に片足を突っ込みながら、脱走しつつ創造することが必要なんだろう。



葛西臨海水族園から逃げ、東京湾で泳ぐペンギン

アジアの未来

イランと中国が原油の決済で元を使うことになった。
BRICsのポストアメリカ体制の第一弾だが、5年ほど前、イランが円での決済を求めたが、日本は応じられなかった。
原油価格は、108ドルから今日現在、バレルで98ドルあたり。
70年代のオイルショックで原油の独自ルートを開拓しなければならなかった日本は、イランとの関係を築き上げた訳だが、この一点について、アメリカの横やりを跳ね返す気概があったのだが、今や、国内政治のガタガタ状況で、すべてが後手に回っている。
5年前、イランに行った。
まずホテルで目に付くのは、中国人が多いこと。それも企業のマネージャークラスが多く、仕立てのいいスーツを着ていることから分かる。
中国は、2007年に6兆円ほどのプロジェクトを組んだはず。
アメリカにとって原油の決済でドルが使われないと、一大事であり、原油~ドルを利用した世界の資金環流システムに崩れ、ドル安を誘導した自国利益の還流システムも崩れる。
本来、アメリカにとっては、ドル安のほうが原油で上がる利益も増大し、良かったのだ。
あきらかにアメリカの世界覇権に対するアンチテーゼが、このような現実として現れてきた。
アメリカが世界覇権を維持するために刷った国債は、レーガン政権時代に雪だるま式に膨れあがり、5000兆円と言われる双子の赤字として有名である。この赤字前提であっても、世界がドル中心に回るという前提だから維持できていた。ぶっ飛んでも困るが、このままでも困る。
BRICsの中でもロシアは、90年代英米に通貨含めボロボロにやられたので、プーチンの対アメリカ口撃は凄まじい。

ソ連の崩壊で世界の枠組みが変わり、アメリカは、ユーラシア大陸へのコミットメントを強くし、ユーラシアでの敵対勢力を排除することが外交の基本戦略となった。
世界人口の75%を有するユーラシア大陸へアメリカが覇権をどう維持するかに主眼が置かれており、中国に対して包囲網を作る戦略は、一週間ほど前に発表された日米印(日本〜アメリカ〜インド)協定、そしてTPPで明らかである。
アメリカの中国政策は、ニクソンの訪中から始まり、1989年の天安門事件を契機にしているだろう。天安門もおかしな話で、当時のゴルバチェフ大統領が北京を訪れて、世界中のメディアが集まる中で起こった事件だが、天安門事件を人権問題でクローズアップし、その後に、アメリカの多国籍企業が中国進出を果たしている。

小沢一郎氏の件は、要するにアメリカとの関係で生じた。
検察審査会に提出された検察のでっちあげ報告書の問題は、やっとマスメディアにおいても出てきたが、大きな扱いではないのが残念である。まだ残されている問題は、検察審査会の平均年齢が、30.5歳という確率的にはありえない数字の問題。任意にコンピュータソフトで抽出されたというこのソフト開発に疑惑が生まれている。

特に読売系の報道はひどい。正力松太郎とアメリカの関係でこれはあきらかだが。朝日、毎日もしかり。毎日などは、小沢一郎氏の顔に良い印象をもっていない老婆のコメントも掲載する始末で、マスメディアがこんな世間の印象批評を掲載するのだから、すでに終わっている。(顔については、中央の朝廷から平和的独立を果たそうとして東北の英雄アテルイを参照してほしい。アテルイについては、高橋克彦氏の「火怨」でよく理解できる)
日本は、新聞とTVが株を持ち合っており、これはメディアが権力を持ってしまわないために、欧米では禁止されている。というか根拠のない空気に便乗しているだけだと思う。
ただ、週刊誌は同じ系列であっても、新聞と方針が異なる記事が出てくる。系列内でも小沢氏をめぐるマスメディア報道のあり方に疑問を有し危機感を持っている記者たちが、相当数存在することが分かる。週刊誌は、新聞や下請けをこき使うTVのように恵まれていない。ぎりぎりの経営の中から本当のことを言わないと生き残れないという週刊誌の内部状況が生まれているのかもしれない。

反米でも非米でもない(これは小沢一郎氏の言葉だが)世界の多極化がすでに始まっている事実を理解し、アジアの国同士で戦争を起こさせたり、内部分裂を画策する良からぬ動きをけん制し、この豊かな地域から次の時代が躍動してくることを祈っている。
アジアは一つではないが、多様性を相互に認めて豊かに礼節をもって生きる存在の豊かさが鍵となる。キリスト教は聖典を元にしたあのアルフレッド・ゴア元副大統領が言った「聖書の民よ、集まれ」で代表される。アジアは違う。違う良さがある。

先日調べていたのだが、古代日本と古代インドをつなぐものがある。キーワードは「螺旋」だと思った。縄文の土器に直線はなく、すべて螺旋。また、ガンジーが影響を受けたジャイナ教は古神道に通じるものがあるのだろう。
いずれ書こうと思う。

明治以降、日本はヨーロッパを使って整理をしてきたところがあるので、アジアについては、疎い。文化も宗教も。
井筒俊彦氏の初期の作品でソクラテス以前を扱った「神秘哲学」という初期の重要な著作があるが、そこで、ディオニソスがアジアから来たと。これまた知らなかった。

台湾や中国の友人たちが懐かしい。

8/1付
米、中国の銀行に制裁 イランとの取引で
http://www.47news.jp/CN/201208/CN2012080101001246.html

高橋克彦著「火怨」を読む

高橋克彦著「火怨」を読む。
上下二巻。
凄い。東北を理解するためには必須の本だと思う。

縄文の息吹があふれている。

東北は縄文後期にあたるが、中期は諏訪を中心としている。
高校の同級生が縄文土器の撮影をライフワークとしており
話を聞いた。

ともに諏訪を訪れた際、八ヶ岳での縄文人の話になった。
当時、火山活動がまだ続いていたにもかかわらず、縄文人の生活地域が、火へ向かっている。

もちろん暖を取るためではない。自然との対決でもない。
彼らをそのような行動へと向かわせた何か。

「火怨」を読むと、その何かが理解できる。

あまり書きすぎると本が読まれなくなるので、やめる。

中期に生まれた火炎式土器と高度な文明は、縄文人の何かを凝縮しており、日本の古層に流れる豊かなエネルギーとして今もある。

中身を紹介しないと書いたが、一カ所だけ。

アテルイが物部の二風に聞く。
「アラハバキとは何の神でござりまする」
答えて曰く
「陸奥とはあまり縁のない神。むしろ蝦夷にとっては敵に当たる。出雲に暮らしていた蝦夷の祖先を滅ぼした神じゃ。その須佐之男命が出雲の民より神剣を奪った。草薙の剣と申してな・・・別名をアメノハバキリの剣という」

「古事記」では、須佐之男命がヤマタノオロチを退治した結果、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ。草薙の剣の別名)を得て、天照御大神に献上する。
これで「古事記」を再読する必要が出てくることが、お分かりになるだろう。
オロチ=蛇は、縄文の神もであった。
脱皮して生成変化するその生命力に縄文人が畏敬の念をもっていたことは
柳田民俗学に異をとなえ独自の研究を深めている吉野裕子「蛇」に詳しい。

古層の上に幾層もの文化が重ね合わされているが、
日本人の持っている変わる力は変わらない。

実体語と空体語について

実体語と空体語は、故山本七平氏が提唱した日本分析のキーワードである。日本国民は常に、この二つの極を行ったり来たりしてコントロールされてきたと述べている。

実体語と空体語を具体的に紹介することにしよう。(「日本教の社会学」山本七平&小室直樹対談より)
「モデルとして太平洋戦争末期をとりあげてみましょう。あの頃、無条件降伏という実体語があれば、一億玉砕という空体語でバランスをとっているわけで、その空体語がないともう何も機能しない。

ところが、一億玉砕というのは極限ですね。どうもできませんね、これ以上は。これ以上もう空体語を積めなくなる。

~中略~

実体語の方が重くなると、空体語の方をどんどん増やすわけですよ。だからこの表現はどんどん上がっていって、降伏直前には一億玉砕まで上がっていく。それが極限まで行っちゃうと、もう方法がない。もう空体語を重くできない。

これ以上重くできないとバランスが崩れて、実体語の方が上っちゃう。こうなると困るから、今度は支点を空体語の方に寄せていく。それも極限までくると、もうバランスがとれないから一回転してストンと両方落ちちゃう。そうすると、次の瞬間は何もなくて、天秤の支点は真ん中にあって、実もなければ空もない、自然的虚脱状態に立つ人間がいるだけ。

次にそれを機能させようと思うと、空体語の方に、民主主義でも何でも、いっぱい積んでくるんです。そうするとこれはバランスを取るために実体語の方に事実を積んで行かなくちゃならんでしょう。

これは安保だってそうです。しまいに空体語を積み切れなくなる。また、天秤の支点を動かしていく。また極限までくるとガチャンとひっくり返る。その瞬間にまず全部言葉を失う。たえずこれを繰り返しているわけです。(P142-144)」

実体語は現実に即した言葉となり、空体語は現実の枠組みから解き放たれようとする言葉となる。

実体語と空体語は日本の社会分析のキーワードとしてあるのだけれど、ミクロの生活においても適応する。

たとえば生活においても現実のしがらみだけが重苦しくなったとき、空体語が必要となる。また空体語が重くなりすぎて、がんじがらめになったとき、現実が必要であると揺り戻される。支点は生活者になる。

社会分析を行う上で実体語と空体語は、日本を包む全体の空気(空気認識)がベースとなっている。

KY(空気が読めない)が流行語になったが、この空気は、今はそんな空気じゃないよね、とか、今は行ける空気でしょう、など判断の基準に用いられる日本の不思議な社会認識で、大衆心理の仮想空間として存在しあたかも実体を持った基準のように機能していく。
実体語と空体語は、その空気という空間の両極で揺れ動く心理特性である。

そしてこうも言える。
空気が片方の極に寄っているときに、その失敗を突いて、逆の極情報を操作して流すわけだ。
日本人は善良な国民なので、この手法でコロリとやられる。

先ずは全体を認識すると抜けられるだろう。

酢からス、そして日本

今日の夜は、手羽先、ごぼう、ねぎの煮込み料理を作る。

手羽先は先を切り、軽く炒め、だし汁をベースに、ごぼうとねぎを入れ、クツクツと煮込むこと1時間弱。
みりんと醤油、黒砂糖で味付けし、一番最後に酢で仕上げた。
そして、春の山菜、こごみを料理。
今日の煮込みは、かなり良い出来。

酢の使い方で、料理は良くなる。
広がるというか、統一感が出て絶妙な味のバランスを引き出すことができる。

人を好きになるの、「スキ」という声もスとキの組み合わせで、あるエネルギーが向かうことを示しているし、人がスッと出てくる、というときの「ス」も静かながらエネルギーを秘めて登場してくる感じが出ている。

言霊の世界は、芸術において、能がよく表現していると思う。
能の世界は、その根源を縄文の世界にまで辿ることができるので、言霊は、縄文のエネルギーに満ちた生命の内奥から発せられる響きから来た世界なのだろう。
縄文人は、つま先でスッスッと歩いた。現代でもスは生きている。

世阿弥の「花伝書」は、この奥儀を説いた日本最高の芸術論としてあり、世阿弥、そして父の観阿弥にとっても、言霊の世界は、当たり前の世界としてあったのだろう。
花は、開く前の蕾の状態に、秘めたる美しさを観て、その感応は、潜象の世界で通じている。

この休日、井筒俊彦氏の「意識と本質」「存在論から意識論へ」を読んでいたのだが、明治以降の捉え方を、後記で書いておられた。

「特に、明治以来、一途に欧化の道を驀進してきた我々日本人の場合、その意識—少なくとも意識表層—は、もはや後には引けないほど西洋化しているのだ。ほとんどそれと自覚することなしに、我々は西洋的思考で物事を考える習慣を身につけてしまっている。つまり、ごく普通の状態において、現代の日本人のものの考え方は、著しく欧米脈化しているし、まして哲学ともなれば、既に受けた西洋的学問の薫陶が、それを別に意図しなくとも、我々の知性の働きを根本的に色付ける。
だが、他方、日本語によって存在を秩序付け、日本語特有の意味文節の網目を通して物事を考え、物事を感受し、日本語的意味形象の構成する世界を「現実」としてそこに生きる我々が、心の底まで完全に欧化されてしまうことはあり得ない。ということは、要するに、我々現代の日本人の実存そのものの中に、意識の表層と深層とを二つの軸として、西洋と東洋とが微妙な形で混交し融合しているということだ。
~中略~
東と西との哲学的かかわりというこの問題については、私自身、かつては比較哲学の可能性を探ろうとしたこともあった。だが実は、ことさらに東と西とを比較しなくとも、現代に生きる日本人が、東洋哲学的主題を取り上げて、それを現代的意識の地平において考究しさえすれば、もうそれだけで既に東西思想の出会いが実存的体験の場で生起し、東西的視点の交差、つまりは一種の東西比較哲学がひとりでに成立してしまうのだ。」

東洋哲学研究の世界的大家である井筒俊彦氏は、着物姿で写っている写真が多く、東西的視点の交差を自身の存在で現出させている稀有な日本人であり、自らを語らなかったが、実は日本のことを深く深く案じていたように私には思える。東洋のみならず、西洋哲学にも探求が深く、縦横無尽だが極めて正確に東西を語り、共時的構造化として深層を掘り起こしてみせるその存在に、「ス」のちからを感じた。

日本について 5月4日

自分の不勉強を反省し、ゴールデンウィークで本のまとめ読み。

・「天皇の原理」小室直樹著
日本の天皇制がどういう変遷をたどったか知るために読む。

・「異形の王権」網野善彦著
網野史学の中で南北朝期の後醍醐天皇がどう語られているかを知るために読む。

・「日米開戦の真実」佐藤優著
大戦直後、右翼の代表的知性だった大川周明のNHK講演。

・「日本教の社会科学」小室直樹&山本七平対談
小室直樹氏の盟友であった山本七平氏を始めて読む。

・「ナショナリズムの克服」姜尚中&森巣博対談

・「愛国の作法」姜尚中著
国体ナショナリズムの批判を読むため。

・「挑発する知」宮台真司&姜尚中対談
参考になったが、2004年で状況が少し古いかも。

・「日本政治思想史研究」丸山真男著
日本の政治思想を語る上での定番。

まるでヤミ鍋のようにドカドカ入れて、最後は自分の中でどう消化するかというところ。

今日の段階でいうと、ナショナリズム関連の本は、出来るだけたくさん読んで現在どんな議論が展開されているのか知っておいた方が良いというのが感想。

天皇の歴史的変遷については、学校でも深くは学ばなかったので、簡単に紹介。

平安時代の天皇は、ご飯も食べ(当たり前か)、恋愛もし、歌を詠む普通の人。
しかし鎌倉時代に入り、源頼朝死後、奥さんだった北条政子が配下の武士に仕切り直しをする。それは朝廷に対しては絶対的畏敬の念をもって接していたわけだが、朝廷を選ぶか、幕府を選ぶか、この二者択一を迫るというもの。
皆のもの、頼朝に世話になっただろう、朝廷をとるが幕府をとるか、この場ではっきりせい!と。

これで天皇の位置づけが180度転換する。承久の乱。

それまで天皇の言葉は絶対で、予定調和説。どんなことでも天皇がおっしゃるわけだからそれは神の言葉、という位置づけが、どんどん変わっていく。
天皇はどんな良いことをするのか、という善政主義に変わる。
その後北条氏は、ワイロやいろんな乱れで凋落し、朝廷は後醍醐天皇の時代。
朝廷と幕府の対立が北朝と南朝の分裂を生み、天皇が二人存在するという状況。天皇が天皇であるために必要となる三種の神器は南朝にある。当時の南朝の参謀、北畠親房が、偽りの三種の神器を北朝に渡したため。
平安期に天皇のお供ではべっていた人たち、(網野史学では、後世の被差別人、非人、遊女のルーツがそういう人たちであった)そいういう人たちや、漂白の民をたばね、そして楠木正成や新田義貞などの名武将が中心となり、総力戦をかけ、南朝が権力を奪取する。
しかし、その後、味方だった足利高氏に裏切られて、転覆。
このあたりは「異形の王権」に詳しい。

その後、三種の神器を北朝に渡し、統一を見る。北朝と南朝が交代で朝廷を担当するという約束は守られず、南朝はそのまま衰退。従って、三種の神器が存在する今の天皇家は、北朝の系統。

さて、次は、江戸時代に入る。北朝と軟調はどちらか正統?この論争が再燃。
以下、「天皇の原理」より引用。
この大論争は、徳川時代を通じて激しく闘わされ、余波は明治から昭和初年にまでも及ぶ。この大論争の争点の一つは、南北朝のいずれか正統であるか。もう一つの争点は、建武中興は何故、失敗したか。徳川時代を通じて、大論争が繰り広げられていった。そして、この大論争の過程を通じて、承久の乱で死んだ天皇イデオロギーは復活してゆくのであった。(この論争は崎門学(きもんがく)を中心になされ、創始者の山崎闇斎の弟子が浅見絧斎。)
天皇は神である。天皇が正しいことをするのではない。天皇がすることだから正しい。これが、天皇イデオロギーの教議。この教義が復活した。復活することによって、天皇は「真の神」となった。(天皇の原理 P297-298)

この流れで明治維新まで一直線。ご存知、尊王攘夷。

さて、海外では1800年代も、列強の帝国主義時代。東インド会社でしこたま儲けたイギリスは、インドでアヘンを作らせて、中国の絹・綿織物の支払いに充てている。麻薬づけになって怒った中国は戦うが、軍事力で敗北。中国の植民地化が一気に進む。
日本は、日清・日露戦争でウカレ気分。
前提は人口の膨張と近代化、帝国主義。

満州事変から大戦へ。大戦直後、NHKラジオで放送された大川周明の講演が、「日米開戦の真実」佐藤優著に収められている。何が語られているかは、読んでいただくとして、大川周明は、当時日本の最高知性とされ、出版されたその講演は大ベストセラー。大戦はすでに始まっているわけだが、植民地化されたインド中国を救済するというのが大義名分。国体という言葉はここでも使われる。大川周明は、東京裁判で、東条英機の頭を後ろの席からスリッパで叩いたり、パジャマ姿で登場したことは有名。佐藤氏は、裁判をコメディー化することで、その有効性を白紙にしようとしたのではないだろうかと分析。

さて、ここで見ておいたほうがいいのは大戦中の矛盾。
熱烈なる国体賛同兵士は、戦争が近代戦となっているため、本当に必要な兵の資質ではなかったこと、実際の戦争において目的と手段が入れ替わり、よくある精神がなっとらん!=体罰なんて当たり前。統帥権が独り歩きし、学徒動員、一億総玉砕、はては人間魚雷と命が犠牲になっていったことは常識。

佐藤氏は「日米開戦の真実」で、大川周明の講演を文章として紹介することで、考える機会を提供しようとしているのだろう。

戦後、国体ナショナリズムをどう捉えなおすかが日本の知識人の使命。でないと同じことがまた起こる。また同時に、大戦後、タイやマレーシアの首相から、大戦当初イギリスを破ってくれた自立の自信を与えてくれたと感謝するメッセージも発信されている。(「日本国民に告ぐ」小室直樹 P264)

さて、次に姜 尚中氏「愛国の作法」を読む。

以下ポイントとなっているところを引用。
近代国家としての国民国家を考えるとき、国民を「エトノス」という感性的な存在とみなすのか、それとも「デーモス」という「作為」(社会契約)によって成立する意志的結合体とみなすのか、そのどちらかによって国家のあり方、つまり「国格」も変わってこざるを得ません。
両者は図式的にいうと、「エトノス」-「(感性的)自然」-「血」-「民族共同体」と、
「デーモス」-「(意志的)作為」-「契約」-「国民共同体の二つの系列に整理できます。
これ納得。
丸山真男の「軍国日本」のファシズム的な「ヒステリー症状」は、フロムの言葉に意訳すると、攻撃的なサディズム的性格よりもむしろ、マゾヒズム的な側面に起因しているということです。
丸山真男の捉えかたをフロムの言葉を借りて紹介している。
以下引用
(マゾヒズム的努力の-著者の注)もう一つの面は、自己の外部の、いっそう大きな、一層力強い全体の部分となり、それに没入し、参加しようとする試みである。その力は個人でも、制度でも、神でも、国家でも、両親でも、あるいは肉体的調整でも、何でも良い。揺るぎなく強力で、永遠的で、魅惑的であるように感じられる力の部分となることによって、人はその力と栄光にあやかろうとする。人は自己自身を屈服させ、それのもつすべての力やほこりを投げ捨て、個人としての統一性を失い、自由をうちすてる。しかしかれは、かれが没入して力に参加することによって、新しい安全と新しい誇りとを獲得する。またかれは疑惑という責苦に抵抗する安全性も獲得する。マゾヒズム的人間は、外部的権威だろうと、内面化された良心あるいは心理的強制であろうと、ともかくそれらを主人とすることによって、決断するということから解放される。・・・かれの生活の意味やかれの自我の同一性は、自身が屈服したより大きな全体によって決定されるのである。(フロム「自由からの逃走」)

「愛国の作法」は、いたるところでエーリッヒ・フロムが引用されており、大ベストセラー「愛について」からの引用も多い。愛国を、ジャック・デリダの脱構築を用いて展開していることが分かる。つまり、愛国を一度歴史的な意味で精査し、そして解体し、再構築するという方法。

姜氏の著作は「ナショナリズムの克服」から読み始めたため、始めかなり違和感があった。外から見ている感じがしていた。対談者も在豪だし。
スパスパと切ってみせるやり方はシャープで問題を可視化しているのだけれど、どこか違和感を感じていた。この違和感が、自分の中にある「共同体」からきていることもわかる。どんどん姜氏を対象化していく自分がいた。そして、自分のことも考えていた。

姜氏のホームページを見た。「愛国の作法」を2年連載したらしいのだが、そこで政治を学問として扱う限界を感じていると語っていた。そして文学と政治をやってみたいと。トルストイに興味をもっているという。この話を読んで、わだかまりが幾分かは溶けた。

トルストイであることも分かる。人とのつながりを前提とする公、そして国家を越える公は以前から語られているが、文学を通してそのつながりに踏み込み可能性を探ろうとしているのだろう。そして、情(こころ)で反応している自分は、きわめて日本人的。

今、個人に対しては性善説を、国家に対しては性悪説を。なんだかこれがぴったりきている。国が国相手に性善説で対応しようものなら、大変だ。
国民一人一人が国家を性善説で捉えると、間違う。それは今の民主党に対しても同じ。だから国には監視が必要だということも肝に銘じたほうがいいだろう。
市民による国家監視(シビリアンコントロール)は、日本ではまだ黎明期。

そもそも組織は、ある一定の人数を越えると共同幻想が必要になり(学校は先生が面倒みれる最大数が40人位とされ、企業はトップと平社員の関係が70人位で最大。相互扶助を前提として社会的絆を持ちうる最大数としてダンバー数があるが、それは150人としている。)、その最大値を超えたときに個人と組織の関係はガラリと変わる。ここをどこまでいっても性善説で捉えようとするときに、不幸が起こる。

政治から離れて文化で捉えると、命から生まれ命を育む文化は、どこの国の文化とも戦争を起こさない。日本にはあらゆる国の文化が流入して何でもありの国だ。それだけ懐が深く受け入れることができる平和の深層がある。

小林秀雄と岡潔の対談「人間の建設」から

小林秀雄と岡潔の「人間の建設」という対談集を読む。
いくつも引用したいところはあるのだけれど、
伝えたいことからして以下に絞ろうと思う。
専門分野はさらに複雑化していて、現在の数学は新しい論文を読むのに大学院のマスターコースを修了したくらいでないと分からないということで、
非常に時間がかかるものとなっている。その結果元となる数学の創造性や面白さや、そして岡さんの言う情操を育むのが、非常に難しい状況となっていることを知る。よく分かる。
P・ドラッカーの言葉で、人間は、複雑化していく社会の情報のコントロールをいつかできなくなるだろう、というメッセージは、現在の同じ状況を示している。(だからこそ、ドラッカーは、マネージメントを説くのだが)
複雑化は、この場合、専門化、多様化と同義である。つまるところ、エントロピーの増大をベースに、事である知識や情報も肥大化していっている。
では、人間はこのエントロピーの増大をどのように生きるべきかという最大の命題に直面している。
岡さんの言う「情操」は、このエントロピーの増大とは逆のベクトルを持つ精神の運動ともいえる。人間こそが、このネゲントロピー(エントロピーの増大化に対して逆の指向性を持つ)を生きることができる。
先日書いた多様性と一途の同時存在は、物質と精神の働きと言い換えることもできる。このバランスが、すこぶる悪いのが現代とも言える。

小林さんも岡さんも、いい顔をしている。小林さんの顔は、よく見る写真に比べて、ややふっくらしているが、ふたりとも存在の香りがある。
この存在の香りは出そうとして出せるものではない。生き方から生まれるものだから。

日本について

昨秋から日本を捉え直ししたいという欲求が強い。
岡潔さんの「春宵十話」「日本人のこころ」「日本民族」を読む。
言わずとしれた日本を代表する大数学者。
何よりも前に文化と自然を置く。
政治よりも経済よりも前に。考えてみたら当たり前のこと。
人間がいて始めて社会が成り立つ訳だから、この人間の命を育む自然・文化を抜きにして、語ることはできないという強い使命感がある。
そして、命を育む自然と日本人の関係を、「情緒」「情操」から掘り起こし、万葉、芭蕉を通じて日本人の情操に流れる源流を捉えていく。
1960年代に書かれた本だが、人の顔に獣性が宿ってしまっているという危機感を持っていらっしゃる。
獣に象徴される自己中心性は、お金、自分だけ良ければいい、などなど、ローマ末期を思わせる資本主義の退廃過程として現代を見ている。バベルの塔はいずれ崩壊する。
数学は芸術。この言葉も胸を打つ。

岡潔さんが数学で研究成果を上げられた分野は、当時の3つあった領域から新たな成果を出された訳だが、外国からは、OKAKIYOSHI がチーム名なのではないかと思われたこと、そして、実は、たった一人の人間が行った研究成果だったことが驚愕された。

自身の体、心で何が起こって創造の発露が生まれたかを書かれているが、自然が関係している。
「創造は生命の燃焼である」とは岡潔さんの言葉。
創造活動が、体と感性を通して行われており、熟成の期間を通った後、はっと気がつくというプロセスでもある。

小さなところでは、個人的に、仕事の行き詰まりや、実務的なアイデアが必要なとき、公園を散歩してくることにしており、大体、戻ってくると整理され解決の糸口をつかんでいるというやり方を持っている。どうしても緑豊かな大きな公園が必要になっている。

岡さんの著作を読んでいるとき、「感動する!数学」(桜井進著)を知った。

特に、黄金率について少し紹介すると、オウム貝やひまわりの種の配列、そしてマツボックリやツクシの螺旋が大きくなっていく比率と銀河系の渦巻きが大きくなっていく比率は等しい。また、オウム貝の渦巻きを500万倍に拡大するとハリケーンの渦巻き雲になる。
この比率は、また人間のDNAにも見られ、1単位の長さと幅の比率も同じ。自然界のいたるところで見いだされる。頭のつむじも同じなのだろう。
この黄金律は、数学のフィボナッチ数と呼ばれる。
フィボナッチ数とは、隣り合った数を横に数で順次足していくとできあがる数列で、0,1,1,2,3,5,8,13・・・と続く。
次に、右の数字から左の数字で割ってみると、数が大きくなればなるほど、1.618に限りなく近づいていく。5÷3=1.666、8÷5=1.600、13÷8=1.625と続けると、限りなく1.618に近づく。
自然界のみならず、金融相場の世界でも見られ、有名なエリオット波動(3波と2波で形成される相場の値動き)もフィボナッチ数列に対応していることが多い。
日本の縄文土器の文様は、曲線が多いことで知られるが、渦巻きは多く存在している。改めて人間の自己中心的な世界がいかにちっぽけな世界でしかないかを知ることになる。

縄文をルーツとする考え方を今までもっていたのだけれど、日本は多様性に富んだ国で、受け入れて多様性を広げると同時にもう一つ逆のベクトルである一途さを同時に持つ世界でも稀に見る国という考え方を取り始めている。
一途は宗教性に関係する。
この国は本当に不思議だ。人間に「ゆらぎ」がある。ゆらぎは1/f ゆらぎとして広く知られているが、例えば、アニメのキャラでもそう。ヒーローがずっこけたり、カッコ良かったり、泣いたり、笑ったり、同じ存在の中でさまざまな多面性が飛び出てくるし(多次元を同時存在していると言ってもいい)そして演出が面白い。このあたりがジャパニメーションの強み。例えば、バットマンは、善悪を前提にしているがために、キャラの行動が決まっているし、一神教では限界があるんだろう、とも思う。

ちなみに、最近大ヒットを飛ばしている洋画アバター(ジェームズ・キャメロン監督)を見たが、もののけ姫のアイデアが入っている。獣を殺して自分たちの食とするときに、神道の循環的な世界観が取り入れられているし、森の精も、もののけ姫で登場する。そういう循環的世界をハリウッドが自分たちの限界を破るために取り入れ始めたのだなあというのが、見終わった感想だった。

アメリカは歴史が無い代わりに、映画で歴史を作ろうとする国。
どんな映画がヒットするかを観ていると面白い。
リバタリアニズムのクリント・イーストウッド作品などがもっと観られるようになると、変わる可能性をもっている。

しかし、今のアメリカの中には、戦争を問題解決の手段としている勢力があるのも確か。

アメリカがヤバくなればなるほど、戦争の可能性が高まる。中東が火を噴く可能性がある。
今年秋以降が問題。

経済的に言えば、今回のデリバティブ崩壊にともなって、CDS(クレジット・デフォルト・オブ・スワップ)は、リーマンの際に相殺されたが(つまり、両サイドの持ち主双方が、オープンにして相殺したことで損失は8%程度に抑えられた)、CDOはいたるといころに入り込んでいるため、この相殺による解決が事実上取れない。
だからアメリカが本当にコケたとき、戦争か、統制経済か、そして統制経済を世界に波及させるか、選択肢は限られている。

しかしながら、予想に反したことが起こるのも歴史。

世界的な危機回避は、日本がアメリカとの関係を含め、どんなモデルを作れるかに依っていると言っても過言ではないだろう。

心して生きよう。