東北は日本のお母さんである

この1週間、民俗学の本を読み漁り、理解を深めようとしていた。
これほど東北について考えた時期もなかった。震災が持っている意味、私たちとの関係、未来。
特に赤坂憲雄さんの東北に関する著作を読みすすめていくうちに、自分の中で捉え切れなかった東北、捉えようとしてもそれを許さない東北があった。自分の意識の問題ではないか、ということに徐々に気がついてきた。

たっぷりと時間を取ってみること、思いをめぐらすこと、人の暮らしや歴史の相克を感じ取ってみること、そんな中で浮かび上がってきた東北の姿があった。

そのお母さんは、ヤマト王権の制圧から始まり、踏みにじられてきた歴史をもっている。これでもかこれでもかと、文明と進歩の名のもとに絞り絞られてきた歴史が見えてくる。まるで父権制社会が、元にあった母系社会を否定するがごとくに、制圧してくるような歴史。

東北は日本のお母さんである。そのお母さんは、震災で傷ついている。
復興という言葉は、適していないのだろう。
傷ついたお母さんが再生するには。生き返るには。甦るには。もう一度、子供達が戻って笑顔があふれるようなお母さんになるには。
日本の深い部分で理解しないと、大外しすると思う。

そして今回の震災は、今後、文明が直面する大きな転換点として考えられるだろう。
地球は、母なる星と呼ばれる。宇宙もそう。
生み出す母体が、自然とともに生きている、そういう生命が育む生成と連鎖。
東北は日本のお母さんである。

更に考えを深めていこう。