コミュニティについて考え出す

7月に仙台、気仙沼を訪れる予定。
土曜日に気仙沼の若い方と会った。
とても気持ちのいい方で
団体の懇親会だったのだけれど
笑顔がとてもきれいだった。

260年前の江戸時代の文化遺跡が再びリバイバルしていると聞いた。
震災前までは否定されていたらしい。

思わず、仙台に行った後、気仙沼にも伺います、と言った。

気仙沼は、ふかひれが世界一の生産地になっている。

懇親会では、たまに会うメンバーと情報交換。
福島のカウンターパートナーが気持ち諦めかけていると聞いた。
原発の風評被害でGW行った際にお世話になった方だ。

連絡しないと。

姉が福島の受け入れを行っていて
聞いた話では、離婚が増えているらしい。
奥さんと子供を疎開させ離れ離れになった家族の間で亀裂が起こっているケース。

震災が次の段階に入って、家族をコミュニティの回復が課題になってきていると思う。

震災で環境が激変し、コミュニティもすっかり様変わりした結果、
おひいちゃん、おばあちゃんたちの痴呆も出てくるだろう。
そして働き盛りの人たちの間でも
精神的な面で様々な症状が出てくる。

K・ポランニーを読んでいた。
もともとはコミュニティの中にあった経済活動が
歴史的には、どのような段階を経て
市場経済がコミュニティを包含するようになってきたのか?
読んでいる。
マックス・ウェーバーのプロテスタンティズムと資本主義の精神が脇にある。

欧米でのコミュニティは教会が中心となってできあがってきた経緯があるはずだが
日本のコミュニティについて考えたい。