被災地 負の連鎖か正の連鎖か

7/20〜22で被災地に行った。
20日は福島のいわき市で社長さん。いわきの状況をお聞きする。
行政には頼れない、民と民でやるしかない、という結論をもってらっしゃった。
定食屋で昼飯を食べる。魚の煮付け定食を頼み、女将さんと話す。
小名浜(いわきから近い漁港)からのお客さんがめっきり減ったとのこと。
風評被害で魚が売れない、そして値下げにあっているという話は聞いていた。

悪循環。負の連鎖という言葉が浮かぶ。
その足で、バスで仙台へ。

仙台は週末金曜の夕方で賑わい、いわきの様相とはまるで違い、キラキラしていた。昨年10−12月の四半期GDPが日本で最大の伸びとなった県が、宮城であることは、よく知られている。
復興のお金が流れ、東京から保険に始まり様々な業種の関係者がなだれ込んだ結果、大きなお金が動いた。12月はホテルすら取れない状況だった。
今はやや収まり当日予約の素泊まりで宿泊。
夜、国分町で牛タンを食べる。新宿の歌舞伎町に近い。人で賑わっていた。
翌日、沿岸部へ。iSPPの東北被災地学習ツアーでの参加。
石巻から女川へ。仙台市とは打って変わり、津波の傷跡が生々しい。
女川へ向かう途中、バスから見える風景は、平地が多く、雑草が生えている。この平地は、住宅地だったと聞く。
女川に到着し、観光局の担当から話しを聞く。お父さんが津波でお亡くなりになっていた。震災発生後、津波の高さが10mであると予知警報が流されたが、実際にやってきた津波は、20mだった。
海に近い七十七銀行のビルは、3階建てで、女性行員の方々は、屋上に避難した。しかし、津波は、その3階を軽く越える高さでビルを飲み込み、17人の女性行員がお亡くなりになった。花束が添えてある。悲しい。
高台の病院を2階近くまで津波は襲った。
マスメディアを通した映像では伝わりにくい生々しい状況が語られる。

女川のかまぼこ工場「高政」さんに伺う。
工場の設備などを見学させていただいた後、震災時のお話を聞く。
高政さんは、震災後、食料も無く、インフラが途絶え、町が全滅した中で、工場にストックされていたかまぼこの材料を配布しつづけた。
4月に入り社員を切らざるを得なくなった周囲の工場が多くなった中で、社長は雇用を守り続け、設備が稼働できる工場を再開された。周囲の工場が販売ルートを持っていない場合は、店舗で製品を販売され、地域ぐるみでの復興に取り組んでおられる。5000円ほどかまぼこを買う。女川の人口は、1万1千人ほど。高政さんで働く従業員は、現在、900人まで増えた。その心意気が全国に届き、町づくりに邁進されている。かまぼこを食べた。美味しい。
通販もやってらっしゃるとのこと。

被災地でこれからの課題は、産業復興が大きな柱になる。産業が復興しないと、雇用も生まれない。

負の連鎖か正の連鎖か、被災地はどのような支援を受けるかで復興と再生が決まる。