徒然に

ドナルド・キーンさんが日本文学の研究を始めたきっかけは、第二次世界大戦時に残された日米それぞれの兵士たちの日記を翻訳したことに始まる。アメリカの場合は事実の記述やメッセージが多いのだが、日本の兵士たちは日記に自分たちの内面の吐露が見られた。
キーンさんはそこに日本の秘密があると直感し研究を始めた。

万葉から源氏物語へと至る日本文学を研究したのも、そこに流れる昔から脈々と続く言霊と、源氏にいたっては外来の仏教が流行する平安の時代風潮の中にあって必死になって抵抗し、かな文学によって日本語の神髄を残そうとした精神を見ているはずだ。

もともと日本語は緊張の上に生まれている。一神教のように神のもとで、あなたと私を関係づけるものはなく、英語のyouにあたる呼び方も、あなた、あんた、君、お前、もうありとあらゆる呼び方を使いこなしている。もともとが緊張に満ちている。だから相手との関係をよくするために生み出された多様な呼び方や語彙が豊かな言語になっている。
鈴虫の泣き声を右脳で聴くか左脳で聴くかという欧米人と日本人の脳構造の違いは有名な話だが、環境の言葉として左脳で処理しているそんなところにも通じている話だろう。

キーンさんが日本に帰化するという。キーンさんの周りでは誰も驚かず当たり前のように受け止められてらしい。80歳を過ぎてられ最後の人生を日本のために使ってくださる

日本が震災に直面しているのは先進諸国のなかで初めての事ばかり。
初めて生まれた難民、過疎化している中で行う町づくり、復興ではなく再生、中央からひどい扱いを受けてきた東北の歴史。

日本の再生・復興がどうなるのか見守り続けてくれている海外の日本ファンの方々がいる。お礼を申しあげると共に、集まった義捐金がどう使われどう復興しているのか、海外に対してお知らせしていくことも必要となる。

戦後の日本人は、自分たちの内面を表現することをしなくなってしまったと思う。
さかのぼれば明治以降から始まった傾向だろう。
戦後日本が進んできた外側の基準を優先する国づくり、つまり、いい大学、つぶれない企業、こういう外側のフレームが優先されてきたわけだが、今や球の内側と外側がひっくり返って逆になるくらいのことが起こっている。

その深い深い答えを模索するためには、今まで通りの意識ではわからない人間の存在に対しての理解と共感を取り戻すために、人間をベースにした考え方が何にもまして優先される。

人間は捨てたもんじゃない。
この前提に立つと人の力は合わさって、1足す1は3にも5にもなる。
そんな時代に私たちは生きている。