気仙沼の復興計画 その矛盾を伺う

7月28日(土)は、気仙沼の商工会議所副会頭の菅原さんの話を聞く。
東京で小さめのカンファレンス。

被害状況 かつて東洋一と言われた魚市場。
復旧進んでいない 小出しの予算 一括整備すれば早いのが省庁の合意が取れずできない。絵ができない。進んでいない。悪循環の連続。

グループ補助金 復興予算の中 2000億の予算 ニーズは4000億
残り2000億ははじかれた。
24年は500億円しかつけず。
復興担当の政務官にきいたら、大体のところは終わったでしょ、これからは小さいところで500億でまにあうでしょ。
以前、2000億で泣いた。今、足りるというので泣いている。

気仙沼 210億円申請。 46億8千万の分配。438社申請。98社しか取れず。5分の1くらいの会社しか取れず。
安住財務大臣 また出すから、と。では、なぜ小出しにする?5兆円余っているのなら。

以下は、なんと馬鹿なお金の使われ方の紹介。
国土交通省の被災地婚活ツアーで80件の事業採択。JTB,近ツリ、etc。被災地にお客さんを送り込んで、そこに補助金。
しかし行く人どうしの婚活。
経済産業省の減塩生活 12億円が大手の会社についた。被災地での生活で本当に必要か?現地で違和感ある。もっと大事なことがあるでしょう、と。仮説住宅、せまくなっている。

代理店に丸投げして、韓国で被災地元気祭りを実施したとのこと。販売許可とっていなかったため、韓国で被災地以外の日本の産品を、それも韓国で買って販売するはめに。これも復興予算で実施されている。

矛盾だらけの復興予算の使われ方。

気仙沼でホットなのは、防波堤の話。

国と県のいいなりで進められている。
気仙沼では新しく防波堤を作る土地が無いところで、現実に襲ってきた津波と矛盾するシミュレーションで組み立てられた防波堤がゴリ押しされようとしている。
初めに高い防波堤を作り奥へ向かうほど低い防波堤計画が進められようとしているが、現実の津波は、奥へ進むほど高くなった。いったい国はどういうシミュレーションをしているのか、嘆く菅原さん。
防波堤文化があった岩手では受け入れられるだろう、しかし、気仙沼には、無く、土地も無い。
そういう中で、浮上式の防波堤を、ほとんどコストが変わらなく作れるので大林組から提案してもらったが、知事と行政は、すでに決まったことだからの一辺倒。
浮上式防波堤は和歌山でも実績があり、土地が無い気仙沼では、是非採用したい防波堤の形式。

県が行う防波堤計画も3−4人がバラバラに話し、担当部署が違う。住民たちは分からなくなる。
すべては知事が決めたことだからということで住民の総意が押さえ込まれていく現実。
市民の意見をまとめて県や国と交渉できるマネージメントリーダーが必要。

国や県が、コンサル会社とゼネコンに丸投げし、住民の意見が、まるで反映されない町づくりなど存在しないはず。

矛盾だらけの復興計画。

被災地 負の連鎖か正の連鎖か

7/20〜22で被災地に行った。
20日は福島のいわき市で社長さん。いわきの状況をお聞きする。
行政には頼れない、民と民でやるしかない、という結論をもってらっしゃった。
定食屋で昼飯を食べる。魚の煮付け定食を頼み、女将さんと話す。
小名浜(いわきから近い漁港)からのお客さんがめっきり減ったとのこと。
風評被害で魚が売れない、そして値下げにあっているという話は聞いていた。

悪循環。負の連鎖という言葉が浮かぶ。
その足で、バスで仙台へ。

仙台は週末金曜の夕方で賑わい、いわきの様相とはまるで違い、キラキラしていた。昨年10−12月の四半期GDPが日本で最大の伸びとなった県が、宮城であることは、よく知られている。
復興のお金が流れ、東京から保険に始まり様々な業種の関係者がなだれ込んだ結果、大きなお金が動いた。12月はホテルすら取れない状況だった。
今はやや収まり当日予約の素泊まりで宿泊。
夜、国分町で牛タンを食べる。新宿の歌舞伎町に近い。人で賑わっていた。
翌日、沿岸部へ。iSPPの東北被災地学習ツアーでの参加。
石巻から女川へ。仙台市とは打って変わり、津波の傷跡が生々しい。
女川へ向かう途中、バスから見える風景は、平地が多く、雑草が生えている。この平地は、住宅地だったと聞く。
女川に到着し、観光局の担当から話しを聞く。お父さんが津波でお亡くなりになっていた。震災発生後、津波の高さが10mであると予知警報が流されたが、実際にやってきた津波は、20mだった。
海に近い七十七銀行のビルは、3階建てで、女性行員の方々は、屋上に避難した。しかし、津波は、その3階を軽く越える高さでビルを飲み込み、17人の女性行員がお亡くなりになった。花束が添えてある。悲しい。
高台の病院を2階近くまで津波は襲った。
マスメディアを通した映像では伝わりにくい生々しい状況が語られる。

女川のかまぼこ工場「高政」さんに伺う。
工場の設備などを見学させていただいた後、震災時のお話を聞く。
高政さんは、震災後、食料も無く、インフラが途絶え、町が全滅した中で、工場にストックされていたかまぼこの材料を配布しつづけた。
4月に入り社員を切らざるを得なくなった周囲の工場が多くなった中で、社長は雇用を守り続け、設備が稼働できる工場を再開された。周囲の工場が販売ルートを持っていない場合は、店舗で製品を販売され、地域ぐるみでの復興に取り組んでおられる。5000円ほどかまぼこを買う。女川の人口は、1万1千人ほど。高政さんで働く従業員は、現在、900人まで増えた。その心意気が全国に届き、町づくりに邁進されている。かまぼこを食べた。美味しい。
通販もやってらっしゃるとのこと。

被災地でこれからの課題は、産業復興が大きな柱になる。産業が復興しないと、雇用も生まれない。

負の連鎖か正の連鎖か、被災地はどのような支援を受けるかで復興と再生が決まる。