楽観はできないがチェルノブイリ級の壊滅的事象はない見込み 環境エネルギー政策研究所 飯田哲也氏

楽観はできないがチェルノブイリ級の壊滅的事象はない見込み
環境エネルギー政策研究所 飯田哲也氏
http://www.isep.or.jp/images/press/script110320.pdf
再臨界は起きうるか、東京での被爆の可能性の2点で、飯田氏と北村晴彦東北大学名誉教授の間で議論されコンセンサスに達した分析。
飯田氏は代替エネルギー分野で知られているが、原子力も専門。
藤林徹氏(元東芝原子炉設計部長)の見解をきっかけに、上記二人が議論した内容。

専門的な内容のため、はじめの要旨か暫定的なまとめの箇所を読むといいかもしれないが
5ページ目にある北村教授の判断1-4までに対して
判断4内で引用されている英国Hilary Walker氏らのレポートに、飯田氏が根拠のある評価ではないと判断し、以下の参考資料を提示している。
英国Hilary Walker氏らのレポートは、日本でもかなり流布したが以下で紹介されている。
http://www.tomabechi.jp/archives/51238831.html

他の参考資料としては以下とのこと。
サイエンス誌18 MARCH2011
The Worst case:What if the Water Ran Dry in the Japanese Reactor?
再臨界や水蒸気爆発などの最悪シナリオの可能性を認めつつ、その可能性は低いだろうと締めている。

カリフォルニア大学のモンリオール教授
How Bad is the reactor Meltdown in Japan?
個人的な印象と断りつつも、最悪の場合でも影響は局所に留まり、早期退避とヨウ素が体内に取り込まれないようにすることで軽減可能。
上記和訳は以下。
http://ribf.riken.jp/~koji/monreal.pdf

現在の世論混乱に対して(楽観からチェルノブイリのような巨大な被害まで)目安を提供してくれている。

最悪の事態にならないとすると、どれくらいの期間目安で、冷却され落ち着くのか、というところで、
ここはHilary Walker氏らのレポートにあった10日と見ている。そしてこの資料においての最悪の可能性は非常に低い。

人は、いつまで続くか分からない状況に対して、ある程度の期間目安がないと、心理的にキツくなるはず。

福島第一原子力発電所の報道について IEAE調査結果など

IAEA(国際原子力機関)が第三者としての調査を開始した。
http://www.iaea.org/newscenter/news/tsunamiupdate01.html

2. Radiation Monitoringの箇所で、東京、千葉、神奈川で問題無し、との調査結果を発表している。
原文は以下。
The IAEA radiation monitoring team took measurements at seven different locations in Tokyo and in the Kanagawa and Chiba Prefectures. Dose rates were well below those which are dangerous to human health.

福島から30km離れた畑で収穫された野菜について
IAEAはこの問題をWHOの判断にゆだねるとしている。
The IAEA has passed this information to the Food and Agricultural Organization of the United Nations (FAO) and the World Health Organization (WHO) and will continue to report on this development.

正式には以下のWHOでレポートされるだろう。
http://www.who.or.jp/sitrepsj.html

原発事故はまだ予断を許さないが、IAEAの調査によって、海外メディアを中心とした風評が収まることを願う。

何故、風評が生まれたか?

1)震災直後の数日、政府の正式発表が意味を成さなかった。
東京電力と政府との間で、もみ合いがあり、初回の爆発においても官邸に報告がされたのは、1時間後というお粗末さ。
2)震災以前に政治がガタガタ状態。日本政府の発表を、海外メディアは疑惑の目で見ているのでは。
たとえば、ロイター通信ソースのBBC報道でも野菜問題について
Janan posedとなり、Japan saysではない。
ネガティブに見られているかが分かる。

ほうれん草についても、他の野菜は問題無しとは書かれず(日本での調査)、あたかもほうれん草から他の野菜まで汚染されているような受け取られ方で書かれている。
ほうれん草も同じ場所で収穫されたとしても50日間で放射性ヨウ素131は消えるのだが(物質そのものとしては、半減期は8日なので、この期間を過ぎると問題無し)。詳しくはWHOのレポートを待とう。

日経のWEBサイトでも、震災3日間は、特報が大見出しで掲出された。
一号機が爆発、とか。事態だけが報道され、詳細はまるで不明。
スリーマイルとの比較内容もチェルノブイリの事故内容もほとんどの人は知識が無いため、負の情報連鎖の中で、風評が暴走していった。原子炉が自動停止していたこと、格納容器があること、この理由でチェルノブイリの可能性は当初からまったく無かった。

事態が好転していくのは、統合本部が設置され、自衛隊、消防庁が入ってから。
自衛隊、消防庁、東電の現場社員そして下請け社員の尽力には、本当に敬意を表する。
消防庁の記者発表をTVで見たが、立派だった。
心打たれた。

現場の力に未来を見た。

東北太平洋沖地震で「情報」について考える

例えばBBCからのLINKでロイター提供のニュースが掲載されている。
見出しは
Japan nuclear rescure advances, but radiation seeps
となっている。seepは浸透するという意味。
福島第一原子力発電所から30km離れた地域で収穫されたホウレン草から放射能が検出されたという記事だが、
見出しのインパクトだけが強調されて、どれくらいの量?どれくらいの期間が残る?ホウレン草は吸収しやすい、など
細部が持っている情報が隠れてしまっている。

ネガティブなインフォーメーションは、ディテールに言及し、
その結果、よく分からなくなって危ないというイメージだけが残る。
メディアにその役割を求めるのは無理だろう。

負の情報連鎖は、情報そのものではなく感情・感覚を通して起っている。

好意的にみているか、疑惑を持って見ているかで異なる。
好意的に見ているとすれば、ホウレン草は吸収するけど、ホウレン草以外は大丈夫でしょう、となるし
何ヶ月経過したら問題ないでしょう、となる。

この違いにあるベースなんだろう?

情報は、この根底にある物の見方で、発信の内容が全く変わってしまう。

人間は感情で、そして深い情緒で生きている。情報は、情けが報いると書く。
知性はその上にある機能であり、人間が持っている一部の能力しかない。
全体的な能力は情緒の方にある。

ある異性を好きになったとしよう。そのとき100のうち99合わないところがあっても、たった1つの好きなところで続く。
嫌いになるケースも同じで、100のうち99合っていても、たった1つの嫌いなところで続かない。

人は目で見て頭で考えるより、感じていることの方が情報量が多い。

五感もある。どんな美人でも、息が臭い場合、NGとなるのは、嗅覚が五感の中で最も原始的な感覚であることに由来する。
体を通して得ている絶対量の多い情報を、人は表現するという行為を通して、コミュニケートしているわけだ。
言葉によるコミュニケートだけではなく、ちょっとした仕草や、顔の表情なども表現になっている。
そして目と頭は一部でしかない。
情緒は感覚よりも深い人間の存在とともにあり、日本人は自然とともに育んだ情緒を持っている。

内面は私たちの体そして存在とともにあり、この存在の内部にある豊かさが、世界平和につながっている。

そして愛の逆は、恐怖・憎悪であることが分かる。

愛の影には真(まこと)があり、真の影には愛がある。

巨大地震は巨大地震を誘発する、そして私たちは。。。

地球が現在、地殻変動期に入ったため、巨大地震が巨大地震を誘発するという、とてつもない事態になっている。
これは何故、年々巨大地震が増えているのかを調べだしたところ、ナショナルジオグラフィックスの記事に行き着いた。

はっきり書けば、今回の東北巨大地震は、世界のどこででも起こりうるし、その頻度は世界中でますます多くなる。

世界で起こる巨大地震が年に4-5回だったとしも、5年後には100回起こっている可能性もあるだろう。

自分だけは大丈夫というあり方は、いずれ世界でも通用してなくなる。

私たちは、今回の巨大地震で、人類が生き延びることができるかどうかの指標を生み出しつつある。

2011年3月11日は、世界史の中にそびえ立つターニングポイントとして、語り継がれる、そう生きたいと思う。

大切にしていることを語ろう。

新聞社勤めをしている親戚から聞いた話だが、見せられない写真が山ほどある、という。
分かる。

お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りしますとともに、被災された皆様のご無事を心からお祈り申し上げます。

私たちは、今、驚くべきスピードで自分たちの大切にしているものを取り戻し、新しい状況を生きようとしている。

震災の翌日、母を大阪の姉のところへ疎開させ、私は東京に戻ってきた。
東京に戻る間、余震で新幹線が止まらないでくれ、そう祈った。

私たちは、今、驚くべきスピードで自分たちの大切にしているものを取り戻し、新しい状況を生きようとしている。

無事です

本日の地震について。

会社は書類などが散乱していますが、無事です。

取り急ぎ。

食料高騰から

食料が高騰している。
この8ヶ月40%値上がりしている。小麦、大豆、コーヒーetc。
QE2でバラまかれたドルがリーマン以降のデフレ回避策として世界的な投資ブームを再度あおり、商品と新興国に流れ込んだ結果。
エジプトでも10%の失業率に加え、食べるのに困った人たちの悲鳴が上がった。
しかしながら軍が縦軸を貫いている国の体制のなかで、その悲鳴は封印されている。
この矛盾が明らかになればなるほど爆発する民衆のパワーは、国という巨大な管理組織の最後の手段である軍の統制を強行する。まだ人類は柔軟な管理システムを手に入れていない。逆に強くなる国家の管理システム。資源高騰、ジワジワと進むスタグフレーション。
巨大地震は巨大地震を誘発し年々増える。そしてNZの都市部でも地震が起こった。
誰もこのまま地球上の人間が生き延びることができるとは思っていないにもかかわらず、今日を生きている。
国にも会社にも自分をゆだねることすらできない認識のなかで、自分の動物的な直観と自分の頭で考える能力を上げなければ生き延びることが難しくなっている。
団塊の世代が子供たちに教える将来のレールは、もはや通用しないにもかかわらず時代遅れの教育が足かせになっている。
誰も現在の民主党のていたらくぶりに票を入れようとは思わないだろう。このまま日本が沈没するかどうか、縄文以来引き継がれたDNAがどこで目覚めるか。自律、共存共栄。経済のレベルでは共存共栄は成り立っても、国のレベルでは食うか食われるかが現実。跳ね返すだけのパワーが無くなり、内側を向いている現在の政権。国力の衰退は、精神の衰退と同じ。
右や左のさじ加減ではどうにもならない世界的状況が進行している。
中東の民主化の流れがサウジに飛び火するとオイルはバレルで200ドルまで跳ね上がると予測されている。今、110ドルほどか。2007年夏ガソリンの高騰はリッターで180円まで跳ね上がり、中小零細企業は悲鳴を上げた。
一国が一国だけでは存在できない状況だが、エネルギーと食料は自活できる方向性を探らなければならない。
先日、知り合いと飲んでいて聞いた話。
日本は水資源が豊富。特に貴重な軟水は日本ならではの資源である。この軟水が出る地域の土地が外国に買い占められているという。
国内のガタガタ政治と己のみを良しとする官僚組織で、日本はスカスカの国になりつつある。
なんてひどい状況だ。30年先を見よう。しかしこの滑り出した変化は数千年のレベルだと思う。
これが最近の実感。

西村賢太を読んで

週末の休みで西村賢太を読んだ。
暗渠の宿、どうで死ぬ身の一踊り、そして苦役列車の三冊。

新潮社のサイトに苦役列車の冒頭紹介文があり、グイグイ引き込まれた。

この人のテーマは、男は一人で死ねるか、逆を言えば、男は女なしで孤独に生きることができるか、だと思う。
孤独でも一人で生きるその終極に芝公園で凍死した藤澤清造の死様がある。
しかしながら当たり前のように女との温もりを求める主人公がいる。
この二律背反の中で、互いに相容れず男女の溝を亀裂として深めていく主人公がいる。

草食系男子とは一線を画すこの作家は、ちょっとした行き違いでいとも簡単に壊れてしまう男と女の意識の限界を描きうる希有な作家であり、事実しか書けないとすることで、予定調和のフィクションにまみれた作り物の文化や、ままごとのような恋愛ごっこに、思いっきり×(バツ)をつけてくる。
異様に長い一文には、日々浮かんでは消える泡沫のような意識を正直にトレースして余りない。9割は事実だが、8割はフィクションという。しかしながら8割のフィクションとは、言葉を使って書く限り、ある観点が導入されることに他ならず、その意図性を知ってることである。

読んだ人の多くが何も残らず、すっきりするという。開かずの扉を開いて本当のことを書いたとき、その情念や恨みは昇華する深層意識の構造に由来しているのだろう。

言葉が氾濫して表層的な足し算状態となっている現代の文化状況のなかで、こういう引き算の感覚を元に、フィクションとして書ききっているところが面白い。