日本人の統合力

あらゆる言語の中でも日本語は特別な位置づけである。漢字、カタカナ、平仮名、外来語を使い分けている。外国に行けばもっとシンプルなコミュニケーションになっている。ルールがあるのを感じる。そのルールが宗教であったり文化的規範であったりする訳だ。しかし日本語は状況によって表現を使い分け自分にとって最適な言葉を選んでいる。
例えば○○さん、あなた、おまえ、○○ちゃん、そしてあだ名だったりする。この初めの呼び方を決めるのは一期一会であったり関係であったりする。

日本人は状況を最適化するように、この複雑な言葉を使い分けている。自由自在な言葉であるので、落ちるも上がるも自分次第なのである。他者と上手くいく上手くいかないも自分次第なのである。

日本語には自然が内在している。自然と共に生まれた言葉は、自然と命をつなぎ母子関係で育まれる。愛に満ちた母子関係からやがて自律した存在へと自らの旅を始めるのは神話学者ジョセフ・キャンベルの言う英雄物語の通りだ。古事記ではスサノオの物語で知られる。初めは泣き虫だったスサノオがやがて成長しオロチを倒し結ばれる物語だ。オロチが縄文の神であった蛇の化身であることを考えると古事記も後の時代に編纂された歴史観を示しているが、ここでは触れないことにする。映画スターウォーズはこの英雄物語をベースにしていることで知られることを指摘しておこう。

さて、この状況の最適化を複雑な言葉で行うためには、魂が必要である。つまり複雑だからこそ何処にでも行ってしまうため、魂が必要なのである。使う言葉によって気分が変わったり関係がこじれたりすることは日常茶飯事である。しかし状況を良くするには魂が必要なのである。魂は世界のありように対して希望、祈り、平和、そして異議も唱える。それは小さな家庭内の人間関係からワールドワイドの世界、そして宇宙に至るまで同じである。

ヨーロッパの近代はデカルトから始まる。意識と身体を分け、意識は世界を構築し、1対多で制御してきた歴史である。現代が多対多を前提にしていると、1として機能する国家、1として機能する神、1として機能する○○は、現代の状況の中で変容を迫られる。日本人が凄いのは、この多対多を混乱すること無く生きることが出来る。それはすべてを受け入れ越えていく魂の活動があるからとも言える。

ヨーロッパの限界、アメリカの限界は東洋だけでは解決できない。黄色人種も黒人も、そして白人も、区別では無く、違いを理解し、新しい関係を作るための言葉を発するその魂に平和が宿る。日本人が持っている世界での可能性、ひいては宇宙での可能性である。