右利きの人が左手で書いてみると

中学時代に右手を骨折して、試験を左手で書いて受けることになった。
二週間ほど書いてみると慣れてきて何だか気持ちのいい感覚まで生まれてきた。結果、それまでの成績より良かった。ふと思い出して今度は文字を右から左へ書いてみる。左手の場合、右から左へ書く。いつも使っている神経回路を変えてみることで、その変化を楽しんでみたい。

町を歩くと看板やPOPや、すべて左から右へ書かれている。これが逆になったら思い出す。一文字一文字刻むように書いている。これが速く書けるようになると何が変わるのだろう?きっかけは運転免許証の更新時に受けた講習で利き眼はどっち?というのをやった。ここまで効き眼に依存していたのかと驚く。これが右目に眼帯までして左手で書くと完璧だ。効き眼、利き手は後天的に鍛えられてしまっているので、小学校のときにでも、この逆をやってみると面白い。先生も左手で黒板に右から書く。教科書も全部逆。

右利きの場合、交差神経で左脳につながっているので、計算とか論理が強くなる。右脳は感覚的なものを司っているので、その役割が強くなる。中学のときの感覚を今でも覚えているのだが、何か裡から生み出しているような感覚だった。外側の計算だけでは飽き飽きしてしまっていたので、もってこいの体験だ。

15年ほど前から電話は左耳で話すようにしている。そのほうが人に優しくなれるような感覚だからだった。これは簡単にできるので、人に勧めてみよう。絵や企画書の中に図形を描くときも、これでいってみよう。パソコンも右から左に打てるようになったら面白い。左利きの人は困っているんだろうなあ。

今日のブログは、日記帳にこれで書いてみた。

まずは

世界が122年振りの猛暑を終え、秋の帳が降りた。

最近どうしてこんなに哀しくなるのだろう。まるで深い哀しみの大河にいるようだ。
表面的な言葉にも、瞬間的に誘われる笑いにも乗っかることができず、自分と向き合ってみると、まるでユングの集合的無意識のような深い哀しみの大河のようなものを感じる。

それは私一人ではなく世界中で多くの人々が共通に抱いている何か、ツケ刃もカンフル注射も効かない、そんな風に感じる。

こういうときは、ドストエフスキーを読むか、宮沢賢治を読むか。。。

この深い大河は何かを予兆しているのだろう。
いろいろな強欲が渦巻き、表層が繰り返される歴史の下で流れている何か。
すべてが終わってもそこから始めるしかない何かが集合的無意識のようにある。
認識は抜け出ることの第一歩だが、意識では抜け出せない。

まずは、秋の澄み切った空のもとで深呼吸してみるときに得られる自然からの応援を、瞬間から永遠まで拡げてみよう。
まずは、今日も昇りくる太陽の恵みを体いっぱい受け取ろう。
まずは、この宇宙で人類がまだ生きているとしたら、それは一粒の砂であっても希望が存在することだと考えよう。

5次元 余剰次元について

薦められてリサ・ランドール著「ワープする宇宙」を読む。

私たちは三次元+時間の1次元の四次元に住んでいるが、この四次元は、5次元の断面でしかないという余剰次元理論を可能性を解りやすく紹介してくれている。

特殊相対性理論、一般相対性理論から始まり、量子論も数十頁で、内容の濃い紹介をしてくれているので、余剰次元の理論を組み立てるに至る前提理論を踏まえることができる。
巧みな比喩で理解させてくれる能力は、文学にも造詣が深いことを想像させるが、生活の中から拾い出してくる身近な例で理解させてしまうスピード感に溢れていて、読者に理解の達成感を与えている。

例えば、対称性の破れについての比喩。
丸いディナーテーブルで皆が席に着いており、水が置いてあるとする。右にある水を取るか、左にある水を取るかで、全員の取り方が決まる。はじめに水を取ったときに対称性の破れが起こる。というように解りやすい。

今話題のヒッグス機構についても、この本を読むと、この不思議な粒子の位置付けがわかる。

この人は最も深いところでワクワク感があるのだろう。宇宙の謎解きに恋をしている波動が伝わってくる。
そして、宇宙物理学を語りながらも人柄が見えてくる。例えば余剰次元の共同研究者であるラマン・サンドラムがいるのだが、彼女は、常にラマンと私は、と共同研究者の先に記している。本質的なことしか研究しないラマンがその研究姿勢で博士課程を4期経ながらも、なかなか上の職に上れなかったことを彼女は心配しており、くじけそうになる彼を励ます話は、心根の優しさを窺い知ることができる。

そういう周囲のハーモニーとチームワークを作りながら、ワクワク恋の一直線で余剰次元の可能性を解き明かしていく明晰さは、宇宙との相思相愛から生まれる集中とエネルギーに満ちている。相思相愛だから向こうから扉を開いてくれる。

私たちは、宇宙の中の地球の上で生きながらも、宇宙について、まだ殆ど解らないでいる。
4次元が、余剰次元と交流しているとしたら、一体それはどういうことなのか?
はたまた、何故、宇宙は膨張しているのか?
何故、銀河の渦巻きと巻貝の渦、台風の渦巻きなど自然に存在する渦巻きは同じフィボナッチ係数となるのか?
五感と物質的意識に縛られているのだろうか?
本来人間の精神はもっと自由な存在であったのではないだろうか?

人間は今までに作り上げてきたものに縛られて生きていることは確かだろう。日常と物質がすべてだと意識するとバベルの塔さながらに、まずは自然の法則から逸脱し、ひいては宇宙の法則から逸脱していっていると考える方が外していないと思われる。

恋は彼方へ向かわせる。

人間を超えたもの、それは、宇宙でもあり、自然でもあり、神でもあり、神々でもありる。
古代においては、相思相愛が断ち切られたときに生じるエネルギーの消失から畏敬する心が生まれたのだろう。

この本は、面白い。