予測と人間の生

金融不安を通り越し、金融危機そして金融恐慌の一歩手前で世界的な調整が行われている今、書いておきたいことがある。
状況の分析はシミュレーションであり、ある対象化された計算方法を元にしている。今回の金融恐慌は、早くは1995年あたりから指摘されていたことで、マクロレベルでのシミュレーションとして予測された。そこには因果関係があるため計算できる。この地滑り的な金融システムの崩壊にあたって、対局となるフェーズを提出したい。
人間が行う予測は、その多くが当たらない、というものだ。
予測された未来の通りには、決してそのままには進まない。予測を否定しているではない。なぜそうなるか?
今年の7月、原油価格は、1バレル200ドルに達するだろうというJPモルガンの予測を信じて、120ドルあたりで買いを入れた日本の商社は、大きな損失を出した。落ちても60から70ドルだろうという予測も外れた。現在は40ドル台である。この半年で3分の1に落ちたのである。
(ガソリンスタンドの値は、まだ下がらないが。。。)
この予測には欠けていたものがある。人間の適用しようとする行動に対してである。夏、車の交通量する減った。人間を無視した金融システムの一部に対して、一人一人の人間が反乱したともいえる。
予測が外れるのは、マクロに対してミクロが複雑系の中で新しい地平を作り上げるときに外れる。地平は、人々が織りなす網の目ともいえる。
人は生きている。予測は内部に時間の矢を持っている。それに対して人の生は、本来、きわめて空間的である。さらに言うと、人間の生命はきわめて空間的である。とても重要なことだ。
泣いたり笑ったり悲しんだり喜んだり人間の命は躍動している。そしてひとりでは躍動しない。

さて、ジュリアン・ジェインズというプリンストン大学の心理学教授が、唯一書き残した「神々の沈黙」という著書がある。
サブタイトルは、意識の誕生と文明の興亡となっている。
本の帯は、「右脳に囁きかける神々の声は、どこに消えたのか?」とある。発刊と同時に大反響を巻き起こした。帯には、さらに、3000年前まで人類は「意識」を持っていなかった。古代文明は、意識を持つ前の<二分心>の持ち主の創造物。豊富な文献と古代遺跡の分析から、意識の誕生をめぐる壮大な仮説を提唱、とある。

詳しくは読んでもらうしかないのだが、なぜこの本を紹介したかというと、先ほどの予測に関係している。
古代においても予測はあったが、金融システムのように、人間が作ったものを予測はしていない。
自分たちの存在を越える何か、それは自然でもあるし、民族によれば神の声でもある何かを聞いていた。
ちなみに神という言葉は、後で人間が作った言葉であり、古代において神という意識は無いと思う。
そして、現代の予測やシミュレーションという左脳的なものではない。

お告げがあったからどこどこに行くという行動に、何故?と聞いても答えはない。その人には聞こえており、行動しているのだ。

現代人が近い状態を体験できるのは、朝起きた直後だと思っている。このときに布団なりベッドの中で、課題をとらえ直すと非常に深い答えを得ることができる。体の状態が素直なため、意識で判断するより、先のある答えを得ることができる。
(ちなみにそのためには寝る前の状態が大切だ)

人間が意識で作り上げてきた文明に対して、全く次元が違うレベルで起こっていることがある。

今、そういう意味では、全部必要になっており、新しい適用が始まろうとしてる、そう感じている。