料理、そして男と女

今の時代、関係がソフィスティケートされているので、言葉が大切。
男同士の場合でも、年に開きがあると、なぜこの話をしているかという元を話さないと相手を否定しているように受け取られてしまうことも多い。基本は相手に良くなってほしいという前提。企業の人事担当は、褒めるから、理由を話して叱るに変わってきたたらしい。

特に女性とのコミュニケーションでは、男と女で持っている感受性のアンテナが異なるため、言葉の取りようも変わってきて
これがひいてはお互いが理解できずに困っているケースが多い。

例えば、パソコンを買う場合、男性はこの機能が付いていないと、などロジカルな面から入ることが多いが、女性は、パッと見て、私、このパソコン好き!という全体把握的な捉え方をする。

「話を聞かない男、地図の読めない女」という面白い本があったが、女性はマルチタスクで男性はシングルタスクを紹介していた。
男はある意味単細胞のシングルタスクなので、何かに集中しているときに話しかけられても駄目なのである。
女性はマルチタスクなので同時にいろんなことができる。
言葉の使い方も女性は横のコミュニティーを作っていく言葉の使い方に対して、男は違う。

男は定年退職したら寂しい生活が待っているケースが多いけれど、女は横のつながりをずっとキープできる。男同士は何かないと電話できないのに対して、女同士は気軽に電話できる、などなど。

私の姉は、大阪で料理研究家をしていたのだが、定年退職したオジサン達に料理を教えていた。
これが大好評で、オジサン達は子供達や友達に対して、こんな料理を作ったから持って行ってあげるね、というように関係を作りやすくなり、
とても感謝をされていた。

手の凝った料理は、効率と生産性から真逆にあり、食べてくれる人が喜んでくれたとき、本当に嬉しい。

心から大切にしている異性がいると、この性差の違いを分かろうと努力する。
そして、意識はかくも自己中心的かと思えるくらい自己中なので、自分を相対化できず、意識で形成されたアイデンティティを保持しようとする結果、自分を枠にはめてしまい様々な限界を自分で作り出しているのが実情で、大切にしている人がいると、ひょっとして俺がおかしいのかな、と振り返り、新しい発見を喜びをもって迎えることができる。

さて、料理について、恩師が教えてくれたことのひとつを紹介すると、包丁は男が研ぐこと、だった。
この意味は深い。
分かる人にだけ分かる。