人間は125歳まで生きることができる

8月末に義父が永眠した。 一人暮らしで最後に話したのが私だった。

入浴中にくも膜下出血で死後、二日後に発見されたのだった。まだ74歳だった。90歳は生きると思っていただけに残念だ。本人も100歳まで生きると言っていた。熱い風呂が好きだった。高齢者が熱い風呂に入ると危険なことがある。脱水から血管系の発作もある。

日記が残っていた。5日ほど前から自分が認知症ではないか、いや違う、と自分を鼓舞するように書いている。くも膜下の前兆だった。もし体に変調があったらSOSの電話をくれるとなっていたのだが、突然の事故だった。 誰でも死ぬときは畳の上で家族に看取られて老衰で死ぬのが理想だ。しかしながら今の世の中は、生まれるときは同じでも死ぬときは皆違う。死が同じだとすると人は皆老衰で安らかに永眠するとなる。

しかし、しかしだ、人間は125歳まで生きることができるという。これは有名な説で、脳が体を殺している。125歳まで生きることができるとすると、私はまだ半分も生きていないことになる。妻は40歳なので3分の1も生きていないことになる。妻を見送った後、コロっといければいいと考えている。ピンピンコロリというやつだ。

125歳まで生きることができないのは、脳が死ぬ理由を作るからだという。70歳の人は、平均寿命が81歳だとすると、あと11年か、と指折り数える愚を犯す。これが間違い。そりゃ早く死んでしまう。脳がそろそろ自分は死ぬかもしれないという指令を出すから死ぬだけで、この指令を出さなければいい。

125歳だとすると、70歳の人は、あと55年もあるではないか、こう考えるのが正しい。80歳でも45年もある。そして55年の間何ができるか?と考えると、まあやってみたいこと始めてみたいことが湯水のように湧いてくるはず。

大きな所では地球のCO2削減に向けてでもいいし、小さなところではベビーシッターでも地域の掃除でもいい。タバコのポイ捨てを見たら叱り飛ばしたらいい。続けるとワシがおらんかったらこの地域は汚くなる!と思うと人は死なないのだ。だから軽く100歳オーバーで生きることになる。

長生きできること間違いなし!

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