高橋克彦著「火怨」を読む

高橋克彦著「火怨」を読む。
上下二巻。
凄い。東北を理解するためには必須の本だと思う。

縄文の息吹があふれている。

東北は縄文後期にあたるが、中期は諏訪を中心としている。
高校の同級生が縄文土器の撮影をライフワークとしており
話を聞いた。

ともに諏訪を訪れた際、八ヶ岳での縄文人の話になった。
当時、火山活動がまだ続いていたにもかかわらず、縄文人の生活地域が、火へ向かっている。

もちろん暖を取るためではない。自然との対決でもない。
彼らをそのような行動へと向かわせた何か。

「火怨」を読むと、その何かが理解できる。

あまり書きすぎると本が読まれなくなるので、やめる。

中期に生まれた火炎式土器と高度な文明は、縄文人の何かを凝縮しており、日本の古層に流れる豊かなエネルギーとして今もある。

中身を紹介しないと書いたが、一カ所だけ。

アテルイが物部の二風に聞く。
「アラハバキとは何の神でござりまする」
答えて曰く
「陸奥とはあまり縁のない神。むしろ蝦夷にとっては敵に当たる。出雲に暮らしていた蝦夷の祖先を滅ぼした神じゃ。その須佐之男命が出雲の民より神剣を奪った。草薙の剣と申してな・・・別名をアメノハバキリの剣という」

「古事記」では、須佐之男命がヤマタノオロチを退治した結果、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ。草薙の剣の別名)を得て、天照御大神に献上する。
これで「古事記」を再読する必要が出てくることが、お分かりになるだろう。
オロチ=蛇は、縄文の神もであった。
脱皮して生成変化するその生命力に縄文人が畏敬の念をもっていたことは
柳田民俗学に異をとなえ独自の研究を深めている吉野裕子「蛇」に詳しい。

古層の上に幾層もの文化が重ね合わされているが、
日本人の持っている変わる力は変わらない。