友達からクリス・アンダーソンの「フリー」という著作を紹介してもらい読んでみた。クリス・アンダーソンは、雑誌「ワイアード」の編集長であり、Longtail(ロングテイル)という概念の発案者で知られている。
情報を自由になりたがる、この言葉を知ったのは、MITメディアラボという著作の中でニコラス・ネグロポンティが使っていたのだが、「フリー」によると、MITのサークルで使われたのが始めらしい。このことが情報の本質として、フリーの概念につながるわけだが、シュンペーターの創造的破壊を思い出した。
創造的破壊は、シュンペーター流のイノベーションであるが、古いものを壊す新陳代謝が企業には必要であり、細かなマイナーチェンジではなく、バッサリ大きな変革を伴うイノベーションを言う。
本の中ではGoogleやLinuxをはじめ、さまざまな例が紹介されている。
さて、日本は日本という共同体的マーケットの中で飯が食えてしまうところがあるので、「フリー」の概念は馴染みが薄いかもしれない。しかしながら、私たちはGoogleを使い、WEBサーバはLinuxで走っているし、30歳未満の人たちは既に無料に慣れっこになったマーケットが出現している。特にデジタルの世界では顕著で、日本だけが鎖国をしている訳にはいかないので、積極的に取り入れる新しいイノベーションとしてある。
日本という共同体的マーケットの常識は、高い賃金体系があって始めて成り立つものなのだろう。(近年、格差が進んで崩れているが、アメリカの平均年収は300万弱である。その代わり不動産、公共料金などが安く社会資本が充実している)
日本はモノづくりが非常に優秀な国なのだが、販売・マーケティング力の弱いことが知られている。近年の中国、インドを中心としたアジアの中産階級層の出現に対しても、液晶分野で言うと韓国のサムソンに負けっぱなしである。サムソンが何をやってるかというと、日本の製品を分解して必要なものと必要でないものを選別して研究し、アジアの巨大マーケットに低価格で販売しているのが実態である。そしてサムソンは1990年代のデフレに喘いだ日本企業(特に東芝)から半導体技術者を数百人単位を採用し技術を確立したところがある。
日本は今までモノづくりに自信を持っていたが、高い付加価値の製品はどうしても高額になり、欧米を中心とした輸出先が必要であった。この欧米がリーマン以降、消費力としてコケてしまっているのである。
2002年から2007年までの平成いざなぎ景気は、小泉・竹中政権が莫大な予算を使った(30兆)円安政策とアメリカへの車などを中心とした輸出で作られたものだった。ちなみに1995年の円高対策は、6兆円ほどである。いかに莫大な金額が将来を見通さない戦略であったのかが分かる。結果、先進諸国のなかで日本だけが立ち直れない理由もここにあり、創造的破壊が進まなかった訳だ。
フリーは、マーケットへのリーチにかかわる。どこまで到達するかというその可能性を極限まで進める手法として使われている。複雑系の分野で、収穫逓増という概念があり、近い考え方になる。収穫逓増は、あるマーケットをどこまでも独り勝ちする。マイクロソフトが例としてよく使われる。
さて、この日本にも「フリー」は浸透し、いやがおうにもマーケットの賛同を得て、グローバルな形で入ってくる。
グローバルという言葉は、ある意味、地球上のどこまでも伸びていく侵食性を示しており、本来は戦いになる。食うか食われるかの。
日本発の「フリー」で有名なのは、携帯のOSで使われている「トロン(Tron)」が有名だ。
日本のPCはOSをトロンにしよう、というムーブメントがあったのだが、ソフトバンクの孫正義がマイクロソフトとタッグを組んで、これを潰した。
日本はTronを全世界に無料配布する予定で、日本中の技術者がメーカー間の垣根を越えて出来上がったソフトだった。
と言いつつも、携帯でTronは使われており、多分、windowsを越える数が使われているはず。隠れたところで世界的に浸透している。
ソフトバンクの事業戦術は、このフリーを押さえているなあ。YAHOOブロードバンドのADSLモデム配布、家族無料通話、あるマーケット規模までリーチした後の損益分岐点をはじいて、それまでは借金してでも浸透させるという方法なのだろう。
まあ、先進諸国の間でも格安のブロードバンド料金の恩恵は受けている訳だが。。。確かにNTTだけだったら、こんなわけにはいかない。
日本の良さは、サービスの良さ、モノにづくりへの信頼があるが、このフリーを前にしてどう闘うのかがはっきりしていない。iPadも発売される。本の物量に対してハードディスクは「フリー」に近い。どれくらい入るんだろう?日本の出版社は大変な状況に陥るだろうが、適応しなければ生きていけない。
どう見ても日本は出遅れているのである。
デジタルの分野でアメリカに追いつき、アジア諸国に対してディスカウント対抗しても、所詮はつけ刃。日本は、世界の中でのマーケットポジションが危ないのである。
国内マーケットでも低所得層を対象にしないと事業にならない状況が訪れている。よく高額所得者をターゲットに、と言うマーケティング・アナリストがいるが、間違いである。現在は低所得者層に移っている。そこでもフリーは活きてくる。
しかし、フリーはひとつの手法。手法は何でも取り入れれば良い。ただし、手法は全てではない。
さて、昨日、日本人は何に優れているのだろう?と考えていたところ、複雑なことをシンプルにできる能力ではないだろうかと思った。
複雑なことを複雑なままにしておけない民族というか、そこは特別な能力があると思う。西田幾多郎を読んでいて、そう考え出した。
欧米では発案できないようなことを、日本で発案できるのは何故か?
その答えを探すために、日本の哲学者の著作を読んでいた。
考える対象と自分との境界が無く、一体となって考えていくところにその秘密はあるのだが、欧米の場合、「有」から始まっているのに対して、「無」から始まる。
「有」から始まるというのは、自分の意識と対象が分かれて分析の対象になるということでもあり、古くはアリストテレスにまで戻る。形相と質料を分けたところまで。
「無」から始まることで対象と一体化しているため、アプローチがまったく異なる。複雑に分岐したことでも、ひとつのこととして考え続ける特性がある。
その前提には、何かを良くしようとする意志の力があり、複雑なことでも何とかみんなのためにならないだろうかと考え続けることで、ある日、ふっと答えが出るようなもの。
そんな能力が日本人にはある。
そしてチームワークが良い。だから、例え上司であっても忌憚なくモノを言うほうが良い。
本田宗一郎さんが或るホンダの工場に行ったとき、白ツナギを着てポケットに手をつっこんでいた。一人の工員さんに叱られた。「ポケットに手を突っ込んでいて危ない」と。それをそばで聞いていた中間管理職の人が、その工員さんに、「社長に何てことを言うのか」と叱ったところ、さすが、本田さん、こんなに仕事熱心な人間を何故怒るのか、と逆に中間管理職の社員を叱り、そして、ホンダの工場で働く工員さんたちの白ツナギからすべてポケットが消えることになった。宗一郎さんがアメリカホンダの工場に始めて行ったとき、当たり前のようにして白ツナギを着て工場に行った。アメリカ人の社長はこんなことは決してしないし、階層社会なのである。アメリカで労働争議が嵐のように起こった中でも、ホンダには起こらなかった。良い会社とはこういうものだ。
日本が世界に対して誇れる国であるためには。
先ずは、内面を取り戻し、活力を取り戻すこと。
精神を無くした国は滅びる。これ、歴史の必然。
そして、すべての人間には、この世で生きている限り、使命がある。