今起こっている複雑性は国家がコントロールできない、これが前提だろう。エネルギー、生態学、宗教、金融、経済、文化、政治 etc.すべてが密に絡み合い、1つ狂えば連鎖が波及する。予測ができないため状況に対応するしかなくなっているので、国家が化け物になりつつある。
N・チョムスキーの著作に「複雑化する世界と単純化する欲望」という著作があるが、単純化する欲望の主体を国家に当てはめてみれば分かる。
では、希望はどこにあるのだろうか?
先日、インナーフロンティアという言葉を知った。人間は言葉を使える。人間はこうありたいと考える人類共通の真・善・美を言葉にすることが出来る。そしてその未来を生きることが出来る唯一の生き物だ。
戦争の無い世界は、創造と協調そして人類の課題解決に向かうが、戦争と破壊がもたらす欲望は未来を暗黒に塗りつぶす。
国家には限界がある。この限界が国民をコントロールする独裁として成立する危うさが世界のいたるところで見られる。
残されたフロンティアの一つ、インナーフロンティアに希望がある。
複雑性が進めば進むほど専門だけでは解決がつかなくなる。専門はひとつの分野に対しての知識ベースから計算することなので、各分野の状況が密接に絡み合った複合的な空間ではそれぞれの要素が影響を及ぼし合うため、1つの専門での解決は難しい。
そういう意味では、専門は専門として持ちながら、せめて2つ以上の専門を持つこと、そして人類の未来を豊かに創造できる智恵と意志が益々必要となっており、この2つ以上の専門を統合できるのは人間の精神を通してしか出来ない。