被災地と死生観

知り合いと今春行った被災地のプロジェクトを振り返った。
仙台の小中学校の生徒が応援旗にメッセージを書いてもらい、それぞれの旗で文字を構成するというプロジェクトだった。
旗には、希望、元気、底力などメッセージが書かれていたのだが、学校単位で制作されているため、限界があったように思う、という話をした。

本当は、優しかったおばあちゃんが津波にさらわれてしまい悲しい、とか、いつも励ましてくれていたおじいちゃんが家の下敷きになって死んでしまい、思い出しただけで胸が締め付けられるという、魂の深いところで泣いている子供たちの心をがあるのではないだろうか。身内に亡くなった方もいれば、家の被災だけで済んだ方もいれば、ごちゃまぜの状況の中で、いっしょくたに未来に向かうんだという持っていき方は手落ちだろう、そう思った。

人は魂の問題が片付いていないと底力も出てこないし、深い悲しみにとらわれていたら受容されてないと癒やされない。
魂の問題をさておいて復興経済で前向きに進むには、この問題はいつまでたっても残り続けるだろう。

既存の経済優先の頭は、パイの食い合いの中で行われるゼロサムゲームで効率化と無理強いをしているだけなので、ポテンシャルを持った人間の存在を捉えることはできない。言葉を発するよりも前に、仕事をするよりも前に、その人がその人である自我意識の前に、深く広く人を受け入れ自然と交流している命があり、存在はその言葉にできない命と同義である。

東北には縄文後期から流れているゆるやかで優しく大きな水脈がある。
縄文時代の平均年齢は30歳位である。子供も生まれてすぐに亡くなることが多々ある。日常に死が当たり前のように出来事としてある。悲しい、だから墓を住居の近くに作り、亡くなった身内と一緒に暮らすのだ。現代とは逆の死生観である。

死を対象化して忌み嫌い、恐怖の対象として恐れるようになってしまった現代にあって、死ではなく死者とともに生きていた時代があった。山を見て、畏敬し感受できる魂は人を傷つけない。今を生きる悲しみも喜びもそういう豊かな自然と共同体の中で培われてきたはずだった。

病人に、元気になれよ、と言っても、それは酷である。元気になろうにも体が動かないのだから。
これと魂のレベルで同じことが起こっているだろう。

現代人は沈黙の裡に聞く能力と感受性を取り戻す必要がある。

気仙沼の復興計画 その矛盾を伺う

7月28日(土)は、気仙沼の商工会議所副会頭の菅原さんの話を聞く。
東京で小さめのカンファレンス。

被害状況 かつて東洋一と言われた魚市場。
復旧進んでいない 小出しの予算 一括整備すれば早いのが省庁の合意が取れずできない。絵ができない。進んでいない。悪循環の連続。

グループ補助金 復興予算の中 2000億の予算 ニーズは4000億
残り2000億ははじかれた。
24年は500億円しかつけず。
復興担当の政務官にきいたら、大体のところは終わったでしょ、これからは小さいところで500億でまにあうでしょ。
以前、2000億で泣いた。今、足りるというので泣いている。

気仙沼 210億円申請。 46億8千万の分配。438社申請。98社しか取れず。5分の1くらいの会社しか取れず。
安住財務大臣 また出すから、と。では、なぜ小出しにする?5兆円余っているのなら。

以下は、なんと馬鹿なお金の使われ方の紹介。
国土交通省の被災地婚活ツアーで80件の事業採択。JTB,近ツリ、etc。被災地にお客さんを送り込んで、そこに補助金。
しかし行く人どうしの婚活。
経済産業省の減塩生活 12億円が大手の会社についた。被災地での生活で本当に必要か?現地で違和感ある。もっと大事なことがあるでしょう、と。仮説住宅、せまくなっている。

代理店に丸投げして、韓国で被災地元気祭りを実施したとのこと。販売許可とっていなかったため、韓国で被災地以外の日本の産品を、それも韓国で買って販売するはめに。これも復興予算で実施されている。

矛盾だらけの復興予算の使われ方。

気仙沼でホットなのは、防波堤の話。

国と県のいいなりで進められている。
気仙沼では新しく防波堤を作る土地が無いところで、現実に襲ってきた津波と矛盾するシミュレーションで組み立てられた防波堤がゴリ押しされようとしている。
初めに高い防波堤を作り奥へ向かうほど低い防波堤計画が進められようとしているが、現実の津波は、奥へ進むほど高くなった。いったい国はどういうシミュレーションをしているのか、嘆く菅原さん。
防波堤文化があった岩手では受け入れられるだろう、しかし、気仙沼には、無く、土地も無い。
そういう中で、浮上式の防波堤を、ほとんどコストが変わらなく作れるので大林組から提案してもらったが、知事と行政は、すでに決まったことだからの一辺倒。
浮上式防波堤は和歌山でも実績があり、土地が無い気仙沼では、是非採用したい防波堤の形式。

県が行う防波堤計画も3−4人がバラバラに話し、担当部署が違う。住民たちは分からなくなる。
すべては知事が決めたことだからということで住民の総意が押さえ込まれていく現実。
市民の意見をまとめて県や国と交渉できるマネージメントリーダーが必要。

国や県が、コンサル会社とゼネコンに丸投げし、住民の意見が、まるで反映されない町づくりなど存在しないはず。

矛盾だらけの復興計画。

被災地 負の連鎖か正の連鎖か

7/20〜22で被災地に行った。
20日は福島のいわき市で社長さん。いわきの状況をお聞きする。
行政には頼れない、民と民でやるしかない、という結論をもってらっしゃった。
定食屋で昼飯を食べる。魚の煮付け定食を頼み、女将さんと話す。
小名浜(いわきから近い漁港)からのお客さんがめっきり減ったとのこと。
風評被害で魚が売れない、そして値下げにあっているという話は聞いていた。

悪循環。負の連鎖という言葉が浮かぶ。
その足で、バスで仙台へ。

仙台は週末金曜の夕方で賑わい、いわきの様相とはまるで違い、キラキラしていた。昨年10−12月の四半期GDPが日本で最大の伸びとなった県が、宮城であることは、よく知られている。
復興のお金が流れ、東京から保険に始まり様々な業種の関係者がなだれ込んだ結果、大きなお金が動いた。12月はホテルすら取れない状況だった。
今はやや収まり当日予約の素泊まりで宿泊。
夜、国分町で牛タンを食べる。新宿の歌舞伎町に近い。人で賑わっていた。
翌日、沿岸部へ。iSPPの東北被災地学習ツアーでの参加。
石巻から女川へ。仙台市とは打って変わり、津波の傷跡が生々しい。
女川へ向かう途中、バスから見える風景は、平地が多く、雑草が生えている。この平地は、住宅地だったと聞く。
女川に到着し、観光局の担当から話しを聞く。お父さんが津波でお亡くなりになっていた。震災発生後、津波の高さが10mであると予知警報が流されたが、実際にやってきた津波は、20mだった。
海に近い七十七銀行のビルは、3階建てで、女性行員の方々は、屋上に避難した。しかし、津波は、その3階を軽く越える高さでビルを飲み込み、17人の女性行員がお亡くなりになった。花束が添えてある。悲しい。
高台の病院を2階近くまで津波は襲った。
マスメディアを通した映像では伝わりにくい生々しい状況が語られる。

女川のかまぼこ工場「高政」さんに伺う。
工場の設備などを見学させていただいた後、震災時のお話を聞く。
高政さんは、震災後、食料も無く、インフラが途絶え、町が全滅した中で、工場にストックされていたかまぼこの材料を配布しつづけた。
4月に入り社員を切らざるを得なくなった周囲の工場が多くなった中で、社長は雇用を守り続け、設備が稼働できる工場を再開された。周囲の工場が販売ルートを持っていない場合は、店舗で製品を販売され、地域ぐるみでの復興に取り組んでおられる。5000円ほどかまぼこを買う。女川の人口は、1万1千人ほど。高政さんで働く従業員は、現在、900人まで増えた。その心意気が全国に届き、町づくりに邁進されている。かまぼこを食べた。美味しい。
通販もやってらっしゃるとのこと。

被災地でこれからの課題は、産業復興が大きな柱になる。産業が復興しないと、雇用も生まれない。

負の連鎖か正の連鎖か、被災地はどのような支援を受けるかで復興と再生が決まる。

17日は阪神大震災から満17年目 防災直後の現場でネットを考えてみる

1995年このあたりから地球の地殻変動期が始まったとされている。
阪神~中越~東北と続き、日本が立ち直れるかどうか三度目の正直。
東北ではまだ行方不明の方が3000人を越えている。
山折哲雄さんが、TVでおっしゃっていたことが心に残る。
ガレキと化した沿岸部に立ちつくし、魂の還る場所がない、と。

黙祷

震災直後の1週間から2週間、電気も通らない、ネットも携帯もダメ、同じ状況が、もし、東京で起こったら、と誰もが考えるようになった。
先日考えたこと。
電力線搬送(PLC)はスマートグリッドの本命だが、昨年9月総務省は家庭内に限っていたPLCの規制を外す方向性を出した。
P2P&太陽光発電は、震災直後で有効な手段となるだろう。
避難所は主に学校が多く、太陽光発電の補助金で設置された多くの自家発電が可能となっている。補助金の額たるや1兆1千億出たのだから。
避難所で使うノートPCの充電問題はクリアできるとして、ネットが接続できない場合、P2P接続がある。ノートPCは、PCL接続をする場合に、ACアダプターがネックになっていたが、これも、panasonicからACアダプターを使ってPLC接続できるユニットが発売されている。
そして蓄電の技術も進んでいる。
ネットが使えなくなっても、電力ケーブルが断線していない限り(日本の系統制御力は非常に高い)、P2Pを使うことで、非常時のやりとりは可能になる。避難所、消防署、病院、IPV6を振られたPCをセキュリティ保護してつなぐことに可能性を見た。

そして、知り合いから、東北で最後はEXCELだったと聞く。地域での防災がより重要になる。

このシミュレーションは練ってみようと思う。

高橋克彦著「火怨」を読む

高橋克彦著「火怨」を読む。
上下二巻。
凄い。東北を理解するためには必須の本だと思う。

縄文の息吹があふれている。

東北は縄文後期にあたるが、中期は諏訪を中心としている。
高校の同級生が縄文土器の撮影をライフワークとしており
話を聞いた。

ともに諏訪を訪れた際、八ヶ岳での縄文人の話になった。
当時、火山活動がまだ続いていたにもかかわらず、縄文人の生活地域が、火へ向かっている。

もちろん暖を取るためではない。自然との対決でもない。
彼らをそのような行動へと向かわせた何か。

「火怨」を読むと、その何かが理解できる。

あまり書きすぎると本が読まれなくなるので、やめる。

中期に生まれた火炎式土器と高度な文明は、縄文人の何かを凝縮しており、日本の古層に流れる豊かなエネルギーとして今もある。

中身を紹介しないと書いたが、一カ所だけ。

アテルイが物部の二風に聞く。
「アラハバキとは何の神でござりまする」
答えて曰く
「陸奥とはあまり縁のない神。むしろ蝦夷にとっては敵に当たる。出雲に暮らしていた蝦夷の祖先を滅ぼした神じゃ。その須佐之男命が出雲の民より神剣を奪った。草薙の剣と申してな・・・別名をアメノハバキリの剣という」

「古事記」では、須佐之男命がヤマタノオロチを退治した結果、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ。草薙の剣の別名)を得て、天照御大神に献上する。
これで「古事記」を再読する必要が出てくることが、お分かりになるだろう。
オロチ=蛇は、縄文の神もであった。
脱皮して生成変化するその生命力に縄文人が畏敬の念をもっていたことは
柳田民俗学に異をとなえ独自の研究を深めている吉野裕子「蛇」に詳しい。

古層の上に幾層もの文化が重ね合わされているが、
日本人の持っている変わる力は変わらない。

児玉龍彦教授「放射線の健康への影響について」

以下、ライターの守田さんが、児玉龍彦教授の「放射線の健康への影響について」発言を文章に起こしてらっしゃいましたので、転載します。youtubeでその真剣さが伝わります。特に子供への影響についてコメントしてらっしゃるので、お読みください。

http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/8f7f0d5f9d925ebfe7c57aa544efd862

衆議院厚生労働委員会 「放射線の健康への影響について」
児玉龍彦教授発言 7月27日
http://www.youtube.com/watch?v=eubj2tmb86M

私は東京大学アイソトープ総合センター長の児玉です。
3月15日に、大変に驚愕しました。私ども東京大学には27箇所の
アイソトープセンターがあり、放射線の防護とその除染などの責任
を負っております。

私自身は内科の医者でして、東大病院の放射線の除染などに数十
年関わっております。まず3月15日の午前9時ごろ、東海村で5マイ
クロシーベルトという線量を経験(観測)しまして、それを文科省
に第10条通報ということで直ちに通報いたしました。

その後東京で0.5マイクロシーベルトを超える線量を検出しま
した。これは一過性に下がりまして、そのあと3月21日に東京で雨
が降り0.2マイクロシーベルト等の線量が降下し、これが今日ま
での高い線量の原因になっていると思っております。このときに
枝野官房長官が、さしあたり健康にあまり問題がないということを
おっしゃいましたが、私はじっさいにこのときにこれは大変なこと
になると思いました。なぜなら現行の放射線の障害防止法というの
は、高い線量の放射線が少しあることを前提にしています。このと
きは総量はあまり問題ではなくて、個々の濃度が問題になります。

ところが今回の福島原発の事故というのは、100キロ圏で5マイクロ
シーベルト、200キロ圏で0.5マイクロシーベルト、さらにそれを越
えて、足柄から静岡のお茶にまで汚染が及んでいることは、今日、
すべてのみなさんがご存じの通りであります。

われわれが放射線障害をみるときには総量を見ます。それでは政府
と東京電力はいったい今回の福島原発事故の総量がどれぐらいであ
るかはっきりとした報告はまったくしていません。

そこで私どもはアイソトープセンターの知識をもとに計算してみま
すと、まず熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するもの
が露出しております。ウラン換算では20個分のものが漏出していま
す。

さらにおそるべきことにはこれまでの知見で、原爆による放射能の
残存量と、原発から放出されたものの残存量は1年経って、原爆が
1000分の1程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は
10分の1程度にしかならない。

つまり今回の福島原発の問題はチェルノブイリ事故と同様、原爆数
十個分に相当する量と、原爆汚染よりもずっと大量の残存物を放出
したということが、まず考える前提になります。

そうしますと、われわれはシステム生物学というシステム論的にも
のをみるやり方でやっているのですが、総量が少ない場合には、あ
る人にかかる濃度だけを見ればいいです。しかしながら総量が非常
に膨大にありますと、これは粒子の問題です。

粒子の拡散というのは、非線形という科学になりまして、われわれ
の流体力学の計算ではもっとも難しいことになりますが、核燃料と
いうものは、砂粒のようなものが、合成樹脂のようなものの中に埋
め込まれております。

これがメルトダウンして放出されるとなると、細かい粒子がたくさ
ん放出されるようになります。そうしたものが出てまいりますと、
どういうことがおこるかというのが今回の稲藁の問題です。例えば
岩手の藤原町(注)では、稲藁5万7千ベクレルパーキログラム、
宮城県の大崎1万7千ベクレルパーキログラム、南相馬市10万6千パー
キログラム、白河市9万7千パーキログラム、岩手6万4千パーキロ
グラムということで、この数値はけして同心円上にはいかない。
どこでどう落ちているかということは、その時の天候、また例えば
その物質が水を吸い上げたかどうか、にかかります。

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徒然に

ドナルド・キーンさんが日本文学の研究を始めたきっかけは、第二次世界大戦時に残された日米それぞれの兵士たちの日記を翻訳したことに始まる。アメリカの場合は事実の記述やメッセージが多いのだが、日本の兵士たちは日記に自分たちの内面の吐露が見られた。
キーンさんはそこに日本の秘密があると直感し研究を始めた。

万葉から源氏物語へと至る日本文学を研究したのも、そこに流れる昔から脈々と続く言霊と、源氏にいたっては外来の仏教が流行する平安の時代風潮の中にあって必死になって抵抗し、かな文学によって日本語の神髄を残そうとした精神を見ているはずだ。

もともと日本語は緊張の上に生まれている。一神教のように神のもとで、あなたと私を関係づけるものはなく、英語のyouにあたる呼び方も、あなた、あんた、君、お前、もうありとあらゆる呼び方を使いこなしている。もともとが緊張に満ちている。だから相手との関係をよくするために生み出された多様な呼び方や語彙が豊かな言語になっている。
鈴虫の泣き声を右脳で聴くか左脳で聴くかという欧米人と日本人の脳構造の違いは有名な話だが、環境の言葉として左脳で処理しているそんなところにも通じている話だろう。

キーンさんが日本に帰化するという。キーンさんの周りでは誰も驚かず当たり前のように受け止められてらしい。80歳を過ぎてられ最後の人生を日本のために使ってくださる

日本が震災に直面しているのは先進諸国のなかで初めての事ばかり。
初めて生まれた難民、過疎化している中で行う町づくり、復興ではなく再生、中央からひどい扱いを受けてきた東北の歴史。

日本の再生・復興がどうなるのか見守り続けてくれている海外の日本ファンの方々がいる。お礼を申しあげると共に、集まった義捐金がどう使われどう復興しているのか、海外に対してお知らせしていくことも必要となる。

戦後の日本人は、自分たちの内面を表現することをしなくなってしまったと思う。
さかのぼれば明治以降から始まった傾向だろう。
戦後日本が進んできた外側の基準を優先する国づくり、つまり、いい大学、つぶれない企業、こういう外側のフレームが優先されてきたわけだが、今や球の内側と外側がひっくり返って逆になるくらいのことが起こっている。

その深い深い答えを模索するためには、今まで通りの意識ではわからない人間の存在に対しての理解と共感を取り戻すために、人間をベースにした考え方が何にもまして優先される。

人間は捨てたもんじゃない。
この前提に立つと人の力は合わさって、1足す1は3にも5にもなる。
そんな時代に私たちは生きている。

逆転の発想による東北再生

北上川は命育む川だと感じている。
これほどまでに豊かな土地を私は熊野以外に知らない。

逆転の発想をするならば、次の理由で東北は希望の土地になる。

今後、地球温暖化にともなって、東北と北海道が米作りにもっとも適した地域になる。
世界的な食料の高騰が予測される。人工増加に対して供給できる量のバランスが崩れていくため。exエジプトでは8ヶ月の間に40%値上がりした。
貧しい人たちが食料にありつけない時代がくると予測される。日本の食料自給率は35%ほどか。非常に低い。
高齢化の問題は就業者の流入と機械化で解決できる。
東北の一次産業が希望の産業となる。
次に代替エネルギーの拠点にもなる。送電と発電が分離され、ベンチャーの参入が可能となったとき可能となる。
地震を起こしたプレートの裂け目は、一年を経過後、安全性が高まる。逆に東海は5%地震の発生確率が上がった。
*11/12付 独立行政法人防災科学研究所 太平洋沖海溝型地震の長期発生予測として、今後30年以内に地震が起こる長期予測が掲載されていた。
P13 三陸沖南部M7.7が80-90% M7.5が99%

東京に一極集中するリスクがどれほど高いか。
グローバル経済は、自己増殖し巨大化する都市を生み出すが、反面、巨大なリスクを抱える。
リスク分散と共存をどうつくるか。

今回の震災で分かってきていること。

失敗すれば、大増税が待っている。

花巻にて

岩手の花巻に来た。
宮沢賢治ゆかりの土地である。釜石への出発まで少し時間があったので、宮沢賢治記念館を訪ねた。
高台の上にあり森に囲まれている。明るい澄んだ空気に充ちた森で、いつまでの居たいと思う。私は宮沢賢治の顔が大好きで、あの純朴で柔和な表情に心安らぐ。
始めて肉筆を見て納得する。一つ一つがしっかりとした丸みを帯びた筆跡だ。あの有名な雨ニモマケズの詩は、小振りの手帳に書かれており、まるでいつでもポケットに入れて持ち歩いていたような可愛らしい手帳に、大きなカタカナであの詩が綴られている。
記念館を出てもう一度森の空気を体いっぱいに吸い込む。
釜石には2時間ほどかかった。2両編成で昔ながらの電車。高校生が通学で乗り込んでくる。当たり前だが、東京の高校生とは全く違う。オシャレっ気もなく、土地の優しさになじんでいる。これまた心安らぐ。
釜石に着き両石という漁港の状況を見る。途中にある商店街もほぼ壊滅状態。リアス式海岸だったので、津波が増幅し崩壊させた。
釜石駅前の新日鐵工場は操業を再開している。弁当を買いに入ったスーパーにも買い物客はいる。新日鐵で働く従業員の家族だろうか。
両石は400人のうち、40人がお亡くなりになったと聞いた。家を無くした方々は仮設住宅でとりあえずの生活を始めている。岩手でも行方不明者は2000人を超えているはず。捜索はもう諦められているらしい。身内や親戚が行方不明のままどうなったか分からない状態というのは、察するに余りある。
一瞬にして起こった深い裂け目の震災に埋没した霊が安らかに昇天されることを心から願う。

東北は日本のお母さんである

この1週間、民俗学の本を読み漁り、理解を深めようとしていた。
これほど東北について考えた時期もなかった。震災が持っている意味、私たちとの関係、未来。
特に赤坂憲雄さんの東北に関する著作を読みすすめていくうちに、自分の中で捉え切れなかった東北、捉えようとしてもそれを許さない東北があった。自分の意識の問題ではないか、ということに徐々に気がついてきた。

たっぷりと時間を取ってみること、思いをめぐらすこと、人の暮らしや歴史の相克を感じ取ってみること、そんな中で浮かび上がってきた東北の姿があった。

そのお母さんは、ヤマト王権の制圧から始まり、踏みにじられてきた歴史をもっている。これでもかこれでもかと、文明と進歩の名のもとに絞り絞られてきた歴史が見えてくる。まるで父権制社会が、元にあった母系社会を否定するがごとくに、制圧してくるような歴史。

東北は日本のお母さんである。そのお母さんは、震災で傷ついている。
復興という言葉は、適していないのだろう。
傷ついたお母さんが再生するには。生き返るには。甦るには。もう一度、子供達が戻って笑顔があふれるようなお母さんになるには。
日本の深い部分で理解しないと、大外しすると思う。

そして今回の震災は、今後、文明が直面する大きな転換点として考えられるだろう。
地球は、母なる星と呼ばれる。宇宙もそう。
生み出す母体が、自然とともに生きている、そういう生命が育む生成と連鎖。
東北は日本のお母さんである。

更に考えを深めていこう。

東海地震の可能性が5%高まった

東日本大震災で、東海地震の起こる可能性が5%高まったという。

ということは、中央防災会議が予測していた、今後30年の間にM8-9クラスが起こる確率が、87%だったが、90%を越したことになる。

東日本大震災で、東海地震対策チームは、動けなかった。それは、万が一、東海で起こったときに備えなければならなかったため。

こういう状況でも、私たちは、希望を持って生きていく。

*2011.11/12付 房総半島沖でのスロー地震について。今回の東北地震での可能性。
http://www.bosai.go.jp/press/2011/pdf/20111031_01.pdf

東北の再生と復興について

阪神大震災の5年間で使われた復興費7.7兆円のうち、9割が被災地の域外に流れたという。
大手ゼネコンが請け負いゼネコンを通して都銀に還流している。
神戸の港湾事業が韓国の釜山に流れたことはよく知られている。
震災後、神戸は明らかに地盤沈下した。
東北について考えてみると、さらに厳しい。進んでいる過疎化もある。2020年までに平均25%から30%の人口減少が予測されている。
どういう再生が可能なのか。
再生と復興に失敗すれば、数年後に増税として、ズシリと重くのしかかってくる。

福島の原発20km地域に風力発電と太陽光発電の拠点ができると、原発4基から15基分の発電が可能になる計算だという。風力発電は風の強い東北には向いているという。

世界の中で、ドイツ、日本、イタリアが脱原発で動き、第二次世界大戦の勝利国側が原発推進で動いていること。IAEAも第二次大戦後の枢軸国が核を保有しない監視で設立された組織であることも分かる。

原発の後処理は、300年、完全処理に10万年かかるはず。いったい、こんな処理を子孫に残していいのかと当たり前に考えるのが理にかなっている。

天然ガスのつなぎでいけるはず。

東北の歴史について学ぶ

講談社学術文庫から出ている赤塚憲雄さんの
東北学/忘れられた東北を読む。

20年にわたる東北のフィールドワークを通して、柳田民俗学からはみ出した真実の東北諸相を、一つ一つ丁寧に洗い出している。柳田民俗学が、米、祖霊信仰、**の三身一体に還元していく一つの統一理論体系だったとすると、東北がこの還元を拒む深い深い歴史をもっている、そのことを学ぶ。

東北においてのコメの歴史が、たかだか60年ほどのものでしかなく、それまでは稗を中心に作られていたこと。また稗は生命力が強く東北の寒冷地においても非常に食料として適していたことを知る。コメを作る気候には、二毛作が可能な西日本が適していたわけだけれども、政府の減反政策や米を食べる食習慣が変化していったこととあいまって、西日本では作り手が減少していく。東北のコメが市場に流通してくるウェイトが高まるのは1990年代になってから。

話を中世以前にまで戻すと、ヤマト王権の東北制圧、坂上田村麻呂による東北の制圧がターニングポイント。大同二年に完成するこの制圧は、同時に東北の諸地方で、寺院の建立が起こる。清水寺の建立も同年。アテルイ、悪路王の敗北も絡む。
中央からの制圧に対して敗北し耐え忍んできた歴史。

もっと時間を戻そう。縄文後期、東北が隆盛した時代でもある。中期は諏訪湖が中心。豊かなブナの森、栗、山菜、魚など食には困らない当時の生活。山内丸山で300人くらいの集落。柳宗悦が、山内丸山を見てこれは縄文ではないと言ったらしいが、縄文中期への思い入れのあまり、後期を否定するというのも違う。集落内に墓がある。集落の外に墓を持っていた弥生とは、死生観が全くと言っていいほど異なる。
人の死を慈しみ、共に在る死生観。男と女は、集落の中で交わり、権力や制度も生まれていない。

昔、太宰治や寺山修司にどこか母親のつながりを感じさせる何かを見ていたが、縄文母系社会にルーツを見ることができるかもしれない。
表が裏であり、裏が表であるような相反の関係が中央と東北にはある。

悲しみを分かること。
人間の心を失ったら何も始まらない。

共感。志。

東電と九電は、はやくつぶしたほうが国民のため

九電のやらせメールは例文も示唆していたらしい。

日経WEBサイトより。

早く送電網を解放し、外資規制をかけた上で、電力を考えないと
嘘はったりの電力値上げと増税で日本は大変なことになる。

日本航空は、つぶれても飛行機は飛んでいる。

電力が足りないのではなく、送電網を解放しないから、足りなくなっているだけ。

自己保身の電力会社と経産省の官僚たちが作り上げる嘘はったりを早く見破ること。