東北太平洋沖地震で「情報」について考える

例えばBBCからのLINKでロイター提供のニュースが掲載されている。
見出しは
Japan nuclear rescure advances, but radiation seeps
となっている。seepは浸透するという意味。
福島第一原子力発電所から30km離れた地域で収穫されたホウレン草から放射能が検出されたという記事だが、
見出しのインパクトだけが強調されて、どれくらいの量?どれくらいの期間が残る?ホウレン草は吸収しやすい、など
細部が持っている情報が隠れてしまっている。

ネガティブなインフォーメーションは、ディテールに言及し、
その結果、よく分からなくなって危ないというイメージだけが残る。
メディアにその役割を求めるのは無理だろう。

負の情報連鎖は、情報そのものではなく感情・感覚を通して起っている。

好意的にみているか、疑惑を持って見ているかで異なる。
好意的に見ているとすれば、ホウレン草は吸収するけど、ホウレン草以外は大丈夫でしょう、となるし
何ヶ月経過したら問題ないでしょう、となる。

この違いにあるベースなんだろう?

情報は、この根底にある物の見方で、発信の内容が全く変わってしまう。

人間は感情で、そして深い情緒で生きている。情報は、情けが報いると書く。
知性はその上にある機能であり、人間が持っている一部の能力しかない。
全体的な能力は情緒の方にある。

ある異性を好きになったとしよう。そのとき100のうち99合わないところがあっても、たった1つの好きなところで続く。
嫌いになるケースも同じで、100のうち99合っていても、たった1つの嫌いなところで続かない。

人は目で見て頭で考えるより、感じていることの方が情報量が多い。

五感もある。どんな美人でも、息が臭い場合、NGとなるのは、嗅覚が五感の中で最も原始的な感覚であることに由来する。
体を通して得ている絶対量の多い情報を、人は表現するという行為を通して、コミュニケートしているわけだ。
言葉によるコミュニケートだけではなく、ちょっとした仕草や、顔の表情なども表現になっている。
そして目と頭は一部でしかない。
情緒は感覚よりも深い人間の存在とともにあり、日本人は自然とともに育んだ情緒を持っている。

内面は私たちの体そして存在とともにあり、この存在の内部にある豊かさが、世界平和につながっている。

そして愛の逆は、恐怖・憎悪であることが分かる。

愛の影には真(まこと)があり、真の影には愛がある。