縁あってハーブのことを調べていた。
そして、アンドルー・ワイル博士の本を読んでいた。
歳を重ねることをどう捉えるか。その人にとっても一緒に生きている人にとっても。
大切なテーマだ。
私の母は今年で80歳を迎え、最近、80歳になったから、という言葉が頻繁に出るようになった。そのたびに、いや、100歳まで生きるんだからと言っていたが、どうも腑に落ちないものを感じていた。
今日、母に電話で「ヘルシー・エイジング」から引用して話をした。
人が老いを迎えるというのは、ウイスキーが熟成するようなもの、大樹が年輪を重ねて立派に生きていること、言ってみれば人間の裡(うち)側が豊かになることと一緒なんだよね、と。
老人には、若い人にはない経験と知恵があって、日本では、そのことが敬まわれていた、と。ワイル博士が書くには、沖縄では、90歳を過ぎたおじいちゃん、おばあちゃんが、堂々と私は95歳だよ、と年齢をおおらかに誇れる文化がある、という。
素晴らしい。
母にこの話をしたところ、腑に落ちたようだった。私もこの数ヶ月、しっくりこなかったものが、どこかにおさまったような気がした。
今まで母にとって、きついことをやっていたなあ、と反省。
未来は現在の中にあり、その現在から豊かさと喜びと幸せが生まれ、広がりを感じているかで、未来は決まる。
変な書き方だけれど、時間は有って無い。
こんな風に考えると、いろんなことが分かってきた。
本当の豊かさは空間的だと思う。