世界は何故平和にならないのか?

人間の歴史は戦争ばっかりで、何故平和にならないのか?
平和と愛に充ちた世界にするお金儲けより、戦争でお金儲けする方が儲かったというのが元だと思う。

日本は、多様性に満ちた国で、自然が豊かだ。この自然の豊かさは、情緒と死生感をもたらしている。そして多様性と同時に存在する一途さを、体に秘めて、世界でも稀に見る平和な国民だ、というのが私の持論。

分断されていないので、究極、世界平和に向かう。

縄文の遺伝子が、古代から脈々と続き、愛と平和を体から語ることができる。

英語で「あなた」はyouしかないが、日本語には、あんた、おまえ、君、いろいろある。人との関係性が文法通りにはいかないので、関係を創り上げる必要がある。

愛をもって部下をしかる、とか、愛をもって取り組むとか、日本の源には、愛があると感じている。イザナギ&イザナミが二人で仲良く国を創っているし。
愛とは融合する美しい生命のエネルギーを元にして、愛は七変化する。いつくしみにも、怒りの中にも、悲しみからも生まれる。

明治以降の近代化と官僚制度、そして、第二次世界大戦後の占領軍政策で、日本は大切なものを忘れてしまった。戦争直後の総懺悔は、鬱病の始まり。アノミーはここからやってくる。私たちが悪かったのではないだろうか、という内面へのフィードバックは、相手が存在しない限り、鬱病になる。元気が無くなる、といったマイナス要因。

それより、先の平和を創ったほうがいい。愛をもって世界に語りかけたほうがいい。
平和はすでにあるものではなく、創るもの。それは仕事でも。

今日、国の借金が1000兆に届きそうなことを知った(自民党時代で作られた比率が殆どなのだが)。あと27兆の借金で1000兆の大台に達する。政治も経済もギリギリのところにいる。

日本がまだ凋落していないのは、国民全体の資産が1300兆(数年前は1500兆)ほどあるため。プラスで300兆となり個人資産の内部留保があるからこそ世界から認められている。この収支が崩れたとき、日本は、投資対象国にもなれず、国債の信用も含めて、まっさかさまに落っこちる。
自民党時代のツケはあまりにも大きい。

最悪は、デノミ、預金封鎖で新札発行し、たんす預金を吐き出させ借金をチャラにする政策が待ち受ける。民主党には、最悪の手段を選んでほしくない、痛切に思う。しかし、国家はデノミを実施する権利を有し、1946年突然、新札発行した。このあたりの混乱は、梶山季之の「小説GHQ」に詳しい。

先ずは官僚の数を減らすことだ。大企業にしても本部機能が肥大して収益が上がったためしが無い。基本は、人数が増えると複雑性が増大し、コストが上がる、自明のことだ。世のため人のために働く官僚のみを残し、給与水準は下げずに、数を減らす。

安いから天下りが増え、天下った団体では、3年で3000千万の退職金をもらい、それを3社繰り返し1億円近い退職金を得るというとんでもない官僚のやり方がある。そして退職金は月単位で計算されているのだ。こんな世界が民間のどこにある?!

ギリギリのところまで来ている。

書き足したら過激になってしまった^^; 今度は芸術の話を書こう。