恋愛と科学のディスクールは同じである。江戸時代から読み解くと。

江戸時代の町人文化を調べる機会があって分かったこと。

江戸時代の後期まで男女の人口比率は、男2対女1だった。これは江戸になだれ込んでくる労働力が男中心であったことに依る。町人6割、武士4割が比率。

当然、結婚できない男が出てくる。吉原、深川という遊郭が生まれたのは必然で、大きな店でも遊びに行くのは当たり前。吉原は銀座のバーのような位置づけで現在の吉原とは違う。
この人口比率から男たちは女性にモテようと、あの手この手でアプローチを試みることになる。
だじゃれでウケを狙ったり歌を詠めるのはもちろんのこと、モテる要素が必要となった。成功して長屋に嫁いでもらった暁には大切にされ、子守から家事まで男がまかなうことが多かった。
江戸の家賃は安い。町人が2−3日働けば家賃が稼げる。物価も安い。しかしながら火事が多い。火事が起こっても持ち物は布団と着物くらいだからすぐに逃げ出せて、つぎの長屋では数ヶ月家賃無料というケースも多かったらしい。
火事で仕事が多くなるため、逆に好まれていたというのが本当のところ。

さて、先の人口比率に戻る。江戸は何も無い葦の原から作り上げた都市なので、地方から出てきた町人の集合都市。年齢と出身はあえて訊かないというのが礼儀だったらしい。そういうゼロから作り上げた江戸での男と女の文化が面白い。

モテるために通う吉原での恋愛遊戯は、言葉も磨く。アプローチを考えに考えて行く訳だけれど、このアプローチを考えるという過程が科学に通じる。

科学は、仮説を立ててその立証をトライアンドエラーする。実証する。
なんだ、人間の裡で恋愛活動と科学の思考活動は同じではないか、という話。

江戸全体にこのようなユニークなジェンダー文化が育ったことは、当時の数学のレベルが非常に高かったことにも通じる。神社の絵馬に算数の謎々が掛けられ、皆で解くのが流行ったらしいのだが、世界的な難問も解き明かしたという。

政治が安定していたからこそ生まれた江戸文化。人口比率から生まれた文化と科学。ここに連と呼ばれる機能的なネットワークが多数形成され、生成し自己組織化する巨大な都市・江戸が生まれた。