江戸時代までは絶滅した動物が・・・

江戸時代までは絶滅した生物があまりなく、明治に入ってから急速に増えたことに興味を持っていた。
江戸時代は循環型の社会で知られる。乱獲もなければ、自然の恵みを人間がいただくことに感謝の気持ちを持っていたように思う。

明治時代の近代化とともに、大きく変化していく。一人の人間が、象40頭分のエネルギーを消費しているらしいが、その端緒が明治にあった。

ピーター・ドラッカーは、明治維新が世界史の中での奇跡であるという。ドラッカーは、ある一時期むさぼるように読書をしたし、90代になっても現役で自分自身の手で電話を取るその姿勢に好感を持った。日本経済新聞に連載された「私の履歴書」に書かれた逸話の中で、奥さんとの出会いと仲の良さに、ドラッカーの洞察力と才能の秘密を見た。さて、ドラッカーがいう奇跡は、無血革命であり、山岡鉄舟を始めとする武士道があったからこその話。世界史は通常、政権交代が血にまみれる。

江戸時代は面白い。岡本綺堂の「半七捕物帳」は、私の愛読書の一つで、江戸時代の風物を楽しむには、もってこいの小説だ。数ページでどっぷりと江戸時代にタイムスリップできる。

江戸時代と明治の違いのひとつに、「時間」がある。分かりやすく言うと、「半七捕物帳」の登場人物にも社会にも、過去~現在~未来という時間の矢が流れていない。昔はああだったけれども、未来はこうなりたい、とか、ましてや、社会の中に、未来の時間が入っていない。極めて空間的とも言える。
明治時代は、近代化とともに、過去を置いて、未来はこうあるんだ、という社会全体のビジョンが時間の矢を内包してくる。

動物の絶滅は、このように人間が作り出した時間の矢、文明というものの方向性が、社会全体を巻き込んで動き出したときに生じた生命誌の裏側とも言える。

この時代を生きていて、時間的なものから空間的なものへと変容しているのを感じている。

人間一人一人の人生は尊く、命は豊かさを求める。喜びと幸せが命の栄養だとすると、いずれ社会もこの栄養を取り入れないとやっていけなくなる時代が来る、そんなふうに直観している。