空海と縄文

空海にとって謎の10年がある。
その10年を空海はどんなふうに生きていたのだろう?想いを馳せると豊かなイメージが膨らむ。
山の中で生きていた。
私は昔、山岳部だったので、山で生きることは想像がつく。
体に宿るエネルギーと自然との一体感が、力強い魂として躍動する。
私がここに縄文の世界を見ている。

一私度僧であった空海が、遣唐使の留学僧として入唐したのも、そして恵果が何百人もいる弟子なかからではなく、日本から飛び込んできた空海にすべてを託した通常ではありえない奇跡とでもいうべき結果を生み出す元に、この空白の10年があったからこそと考えている。

空海を描いた2冊の書物がある。
司馬遼太郎の「空海の風景」、松岡正剛の「空海の夢」。
空海の風景で、一行が入唐を断られ、空海が詩をもって覆すシーンがある。この絶妙な詩に空白の10年で培われた全体との調和と自分たちの存在を一つの精神として展開できる才能と能力を見る。

現代に欠けているもの、それは体と内面から始まる精神性であり、物と記号にあふれた外部に翻弄される貧しさから真の豊かさを取り戻そうとする希求であり、人間の内部と外部がひっくり返った結果、引き起こされている。

三内丸山遺跡に行ったとき新潟の翡翠を見た。青森と新潟はすでに縄文時代で交流があった。どれほど遠い距離だろう、そう考えるのは、現代人で、当時に想いを馳せると、「では、新潟まで行ってきます」と言って出かけるくらいの強靭な体力と豊かな精神性があったに違いない。
山の中を歩くでしょう、渓谷のすがすがしさで体が洗われるでしょう、途中では自然の恵みで体力をつけるでしょう、そうやって培われる縄文の精神。

縄文については、また書くことにします。

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